ひだまりのようなその形に幸福論と名前をつけたなら
「こら。乱暴したら駄目だよ」

本当はざまあみろと笑ってやるつもりだったのに、手を掴んだ瞬間の誘拐犯さんの顔を見てしまうとそんな言葉も出なかった。

途端に掴んだ腕を引かれ、抱きすくめられた。
流石に驚いてしまって、身を固くする。けれど私を抱きしめている腕がまるで縋るようで、私はゆっくりと腕を背中へ回した。
私を抱きしめる腕が必要以上に強いのは、きっと震えが止まらないからだ。

大切な人を失くすということを、この人はきっと知っている。
それは自分が相手にとって特別だという自惚れでは決してなくて、それでもその縋るような力強さに本能的に悟った。

共依存と共感覚。そんな歪んだ関係でできているのだ、私たちは。



ぽつりと、ほとんど息の様な声で誘拐犯さんが呟く。


「いなくなったかと、思った」


泣いていると思った。一瞬、本当にそう思ってしまった。
とてもとても弱い声だった。それでも腕は緩まず、心臓が締め付けられる。

「ごめん。…大丈夫、ここにいるよ」

「…うん」

とん、とん。一定のリズムで背中を叩く。
首元に顔を埋めた誘拐犯さんの息遣いは酷く心許なかった。だから私は、いつも誘拐犯さんがしてくれるように、呼吸を導くように、ただひたすらに背中を叩いた。

その表情の、その声の、その言葉の意味を知ることができない私には、これくらいしかできないから。


「…ありがと、もう大丈夫」

「…うん、いいよ。私、ここにいるからね」

「吃驚したよ、見えなくなるから」



誘拐犯さんが体を離せばその表情はもういつも通りに戻っていて、かえってそれがどうしようもなく痛々しかった。もしかすると両親を亡くした15の私も、他の人の目にはこんな風に映ったのかもしれないなと思った。

「———ここにいるからね」


なんの意味もなく、ただもう一度そう呟いた。
柔く、脆く、繊細な部分を見た。泣きそうな声を聞いた。



「帰ろうか」


誘拐犯さんが差し出した手を取る。
その表情は何処か儚げで、胸が締め付けられる感覚がする。

ああやだな、そんな顔はしてほしくないのにな。




「…ちなみにさっきから前が見えてない」

「ぶッ、」


自分の身長を棚に上げれば、誘拐犯さんの腹筋はもう一度崩壊した。
ひまわり畑のど真ん中、笑顔が戻ったその表情に私もつられて笑い転げる。


ああやっぱり、この人の笑顔はあたたかい。


お腹を抱える程笑っていても尚手を離そうとしないから、汗ばむ右手をもう一度ぎゅっと握り直して、お互いの存在を秘かに確かめ合った。

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