ひだまりのようなその形に幸福論と名前をつけたなら
「…ん……」


頬を撫でていれば誘拐犯さんの瞼がピクリと動いた。
咄嗟に手を退け、そっと布団に潜り込む。誘拐犯さんが起きていないことを確認して、私は静かに体を起こして部屋を見渡した。

初めて来たときより物が増えて、少しだけ散らかった室内。知らぬ間に買われていた布団。誘拐犯さんが普段飲まないココア。ごみ箱にコンビニ弁当のごみは無い。

いつの間にかこの部屋は、二人での生活の証で埋まっていた。
嬉しい。愛しい。けれどそれと同時に恐怖が襲ってくるのだ。

あたたかくて優しくて、愛おしさで目が霞んで、それでも尚寂しいからこんなことを思ってしまうのだ。

いつか離れるのだろうか。この愛おしい人と離れるのだろうか、と。

交わした始まりの約束はいつの日にか破られる嘘でしかないのだと、夜になると嫌でも思い知る。どうしようもないその事実に眠れなくなって、私は隣で眠る誘拐犯さんの首元にそっと擦り寄った。


「……どしたの、こわい夢でも見たの」


降ってきた声に埋めていた顔を上げれば、うっすらと目を開けた誘拐犯さんがいた。
私の髪に触って、優しいテノールで問いかける。
起こしてしまったことに罪悪感を感じながら、安心している自分がいた。
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