あなたが生きるわたしの明日
「一はさぁ、何となくわかるのよ」

差し出された用紙を一通り見たあとで、私は顔を上げる。
真正面に座るサトルも私と同じように用紙から顔を上げた。

「三もわかる。分かんないのは二なのよね」

「ああ、この人格が破綻とかなんとかっていうやつですね」

「これ、どういう意味?」

「ああ、これはですね……ええと」

サトルは眉根に皺を寄せた。
確かずっと前に聞いたことがあるんだけどな、なんだっけ?という顔をする。

「えと、そうそう。そもそもね、憑依された方に三十日間の記憶はないんですよ」

思い出したらしい。
サトルはすらすらと話し始めた。

「ないというよりも、そうですね……。ぼんやりとしか覚えていないっていうのかな? 記憶がないというよりも、自分じゃない誰かがしたような感覚みたいです。ま、実際そうですしね。僕も憑依されたことがないから、その辺の感覚はよくわからないのですが、どうもそうらしいです」

言われてみればなるほどで、三十日間はほかの人の人格になってしまうのだから、その間の記憶が鮮明に残るとややこしいのかもしれない。

「例えば、今になって思えばなんであんなことしたんだろう?って思うことないですか? 若気の至りといってしまうこともあるみたいですが。藤木様はまだお若いからわからないかな」

わかるような気もするし、わからないような気もする。
サトルにはわかるのだろうか。っていうか、サトルは何歳なんだろう。

「すごく地味なクラスメイトが夏休み明けにあか抜けていたり、すごく不真面目だった人が急に品行方正になって東大を目指し始めたなんて話、聞いたことありませんか? 俗にいう心を入れ替えたっていうのは、憑依されていた可能性がありますね」

それなら、聞いたことがあるし、心当たりもある。
もしかしてあのクラスメイトも、夏休みの間誰かに憑依されていたんだろうか……。

「その程度の変化なら、まだ許容範囲なんですが、元の人格が絶対に、地球がひっくり返ってもしそうにないこと、例えば藤木様がある日なんのきっかけもなく突然丸坊主にする、なんてことはきっとなさらないでしょう? そういうことは避けてください、というのが、この二の部分なんです」

「丸坊主か。それは確かにないね」

自分で言うのもなんだけど、どちらかというと不真面目な私が東大を目指すことも考えられないけれど、それ以上に丸坊主はない。
絶対にない。
校則ぎりぎりに染めたダークアッシュグレージュ八トーンは私のお気に入りの色だし、頑張ってケアしてやっと肩甲骨まで伸ばした髪を学校帰りの駅のトイレで巻くのが私の至福の時間なのだ。

「他にも、無免許の人に、免許を持っている人が憑依した場合、車の運転はしないでくださいとか、あとこれは言うまでもないですが、憑依された人の生命が危険に冒されるような行為は禁止されています。あくまで期間限定で体をお借りしているということをお忘れなく」

なるほどとうなずいてもう一度用紙に目を通す。

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