あなたが生きるわたしの明日
「お疲れさま」

その日の帰り道、駅までの道を歩いていると、後ろから肩を叩かれた。

一日中、お昼休みをのぞいてずっとラベルライターで『○○部 ○○課 ○○(株)見積書』などのシールを出していたのだ。
ファイルの中身を確認し、シールを出しては背表紙に貼る。
この作業を一日中していたけど、まだ棚の横一列の半分くらいしか終わっていない。
慣れないデスク作業のせいか、一日があっという間にすぎて、私は痛む腰をさすりながら歩いていた。

「はい?」

首だけで振り返ると、首の骨がゴギっと音をたてた。

私の肩をたたいたのは、スーツを着た四十代くらいのおじさんだった。

「な、なんですか?」

いきなり肩なんか叩いて馴れ馴れしい。

もちろんおじさんに知り合いなんかいないし、声をかけられる筋合いもない。
これはもしかして、援交の誘いかもしれない。
夜に駅前で友だちと話をしていたら、こんな感じのおじさんに「いくら?」も聞かれたことがある。
中には「パンツ売ってくれない?」なんて言ってくるおじさんもいるのだ。
こういう真面目そうなおじさんとか、普通のサラリーマンこそが女子高生を買おうとするんだよね。
ちゃんとスーツに合った高そうな紺色のネクタイなんかしちゃって、いかにも会社のえらい人って感じの……。
あれ。この人、どこかで見たことがあるような気がする。

「あの……久しぶり。元気にしてた?」

「は?」

「いや……今日、企画部に来ていただろう?」

思い出した。
昼間、ラベルライターを借りに行った時にいた人だ。
お兄さんが聞きに行っていたえらい人。

「あ、はい。元気ですよ」

なんだかよくわからないけれど、適当に返事をしておく。
本当はとても疲れていて元気なんかじゃないのだけど。

「そうか……。よかったら、久々に食事にでも行かないか?」

「へ?」

「いや……その、話したいこともあるし」

おじさんがもごもごと話すから、私はだんだんイライラしてきた。
ただでさえ今日は疲れているのだ。
きっと口の回りのしわも目の下のくまも髪も肌も大変なことになっているだろうし、今日はちゃんとお風呂に入ってメイクを尾としてから一刻も早く寝ようと思っているのに、誰だか知らないおじさんとゴハンなんか行けるか。

「帰ります」

宣言して私は早足で駅にむかう。
おじさんは追いかけてはこなかった。
追いかけてきたら、痴漢扱いしてお巡りさんに言ってやろうと思っていたのに。
残念だ。

電車に乗り込み、開いていた座席に座ると少し冷静になった。
さっきのおじさん、陽子さんの知り合いみたい。
そりゃあ、同じ会社で働いている人だから知り合いであってもおかしくなないんだけど。
話し方は遠慮がちだったけど、その割にやけに親しげというか。

そこまで考えて私は思わず「あ」と声を出した。
隣に座っていた女の人が不思議そうに顔を向ける。

あの人はもしかして……陽子さんの不倫相手だった人なんじゃないだろうか……。

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