愛も罪も
3
「ただいま!」
家に帰って来た悠は、玄関の扉が閉まるか閉まらないかという間に靴を脱ぎ捨て、足早に中へと入って行った。
部活で汚したユニホームとタオルをバッグから取り出し、脱衣所に置いてある洗濯機の中へ放り込む。泥だらけになった靴下を脱いで、それを脱いだ靴下専用の籠へと入れた。洗面所で手と顔を洗うと、廊下にバッグを置き去りにしたままリビングへと入り、そこを通過してキッチンに向かった。冷蔵庫を開け枕型のジェル状冷却剤を出す。
「ああ、お帰り。どうだった、試合?」
勝手口から入ってきた母の育代が帰宅した息子を見て、部活の試合結果を訊ねた。
「まかせて、2−1で勝った!」
得意げにピースサインをして見せる。
「おー、良かったね! じゃあ、お祝いしなきゃね。夕食何がいい?」
「しゃぶしゃぶ」
「しゃぶしゃぶ? じゃあ、豚ね」
「ブター⁉」
眉を反り返して不服な顔をする。
「何? 豚だって野菜と一緒に胡麻ダレで食べると美味しいじゃないの。おまけとしてアイスかプリンね」
「いちごアイス! レディーボーデンで!」
「良かろう」
「うっし!」
喜んで小さくガッツポーズをする。
「買い物に行って来なきゃね。シャワーで汗流しておいで。」
頑張った息子を労い、雨の降る中で試合をしたのを気にして言った。
「ねぇ、上は見てくれた?」
悠は左手の人差し指を立てて、自分の部屋の方向を差す。
「うん。二回程覗いてみたけど、眠ってたからそのままにしておいたよ」
「ふーん」
まだ眠ってんだ? 大丈夫かな? やっぱ病院へ連れて行った方がいいかな?
牛乳をコップ一杯飲んでから、廊下に置いていたバッグを手にすると、二階の自分の部屋へと上がって行った。
昨日、怪我人を連れて帰って来た悠は、家族と共に生活している以上、親に黙って自分の部屋に人を招く事など出来ず、しかもそれが道で拾った見ず知らずの者だと言える筈もなく、サッカー部のOBを連れて来たと偽った。
何故そういう事になったのか経緯を訊かれて、ああだこうだと適当な話をその場ででっち上げた。人間、窮地に立った時はスラスラと口からデマカセが出るもんだと、その時初めて知った。
そしてそのOBは風邪を引いている為、自分が試合に行っている間、母親にたまに様子を見てくれと頼んで、外出したのだった。
扉を開けると部屋は静かで、その者は出かける前と変わらず、ベッドに動かず横たわっていた。まだ眠ったままらしい。それで起こさぬ様にと気遣って、音を立てないように扉を閉めた。
そして薬局で買って来た風邪薬と解熱鎮痛薬、ゼリー状の栄養補給飲料をバッグから取り出し、ベッドの傍の出窓に置いた。
ベッドの脇の床に、水量が減っているペットボトルと、朝、出掛ける前に額に貼っておいた冷却シートが、剥がされて落ちているのを見て、一度は起きている事を確認し安心する。
冷却枕が冷たく感じ過ぎない様に、それをタオルで包み、寝ている怪我人の頭をそっと持ち上げ、首の下にそれを敷く。そして床に置いているペットボトルを出窓に置き、シートはゴミ箱へと捨てた。
悠がジャージから私服に着替えている所だった。人の気配に気づいて怪我人が目を覚ます。首の下には冷たい物があり、目の前には見慣れた少年が立っていた。だが、直ぐには口を開かず、暫くそのまま様子を窺っていた。
悠は脱いだジャージを拾い、不意にベッドへと視線を向けた時、怪我人が目を開けている事に気づいた。
「あっ…」
何を話せば良いのか戸惑い、言葉に困った。
「えっと…、大丈夫? 辛い?」
「………」
怪我人は悠を警戒しているのか、何も答えず凝視している。
「あ…、もしかして覚えてないとか? 道で蹲ってて、救急車を呼ぶなって言われたから、家へ連れて来たんだけど…」
悠の厚意に感謝して、怪我人は素直に礼を述べた。それで緊張していた悠も、少し表情を解した。
「何か欲しい物ある?」
「水」
言われてペットボトルを渡す。水を飲む為に体を起こす怪我人に、悠が手を貸してあげる。
「薬はそこに置いてあるから。食欲が無いかもしれないけど、一応、栄養を摂った方がいいと思って、そういうゼリー飲料もそこにあるし、何か食べたい物とかあったら作るけど? お粥とか?」
「ありがとう。でも、今はいい」
「そっか、じゃあ、何かあったら声掛けて。オレ、下にいるから。家族にも適当な理由をつけて…あ、えっと、サッカー部のOBって事にしてあるから。そこは適当に合わせてくれたらいいし。遠慮しないで」
見ず知らずの者と、この部屋にいるのも落ち着かないし、きっと相手も静かにしていたいだろうと察し、怪我人を残して悠は部屋を出た。
部屋に残されたその人物は小さく息を吐き、深々と布団へ潜ると再び目を閉じた。