風薫る
慎重に言葉を選んで、なんとか捻り出す。


「ええとね、黒瀬君と一緒に傘に入るのが嫌なんじゃなくてね」

「え」


微妙に敬語になりながら言うと、黒瀬君が逆に挙動不審になったけれど気にしない。


顔は上げてくれたからいいんだ。


「その、傘が一つだとどうしても狭いでしょ」

「うん」

「はみ出したら濡れるよね」

「そうだね……?」


頷きながらも首を傾げた黒瀬君に、小さく付け足した。


「だから、その……黒瀬君に借りた本が、傷むのが……嫌、なの」


普通の人は、たかが本くらいでって思うかもしれない。


黒瀬君は優しいから、きっと、気にしないでって言ってくれる。


でも、私たちにとっては本は唯一だから。私にとっては唯一だから。


本当に借りた本が傷んでしまったら、いくら新しいのを渡したって、いくら大丈夫だよっていってもらえたって、もう会えない。

私は勇気が出ない。


本はその一冊一冊に、買う前のときめきと読後の余韻とが詰まっているから。

黒瀬君は、大事に大事に、思い出と共に本棚にしまう人だと思うから。


借りた本を傷めるというのは、本好きにとって、その人の思い出をないがしろにするのと同じだろう。
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