風薫る
「よく来てますよね、図書室」


一気に加速する心音。ドクン、ドクン、と響いて、ひどくうるさい。


近くの本棚から菫色の本を抜いて、黒瀬君は見返しに付いているカードを取り出した。


日付と、学年と組と、名前を書くカード。


そこに、私の名前があるのは知っている。以前借りた覚えがある。

そして下の方に、黒瀬君の名前もあった。


少し右上がりで、けれど丁寧な字。黒瀬絋。


「……それ」

「はい。前にあなたが借りた本です、木戸彩香さん」


きどあやかさん、と呼ばれた名前。

私の名前を示して、微笑んだ黒瀬君。


知られて、いた。互いに同じ方法で相手を知っていた。


緩やかに弧を描く黒瀬君の目は優しげで、穏やかで。


いつの間にか、その目に自分が映っていたことを、ようやく理解した。


「敬語、止めていいですか」


はい。

震えた声は音にならない。代わりに小さく頷く。


「木戸さん」

「……はい」

「本、取ろうか?」


お願いします、と返した私に、黒瀬君が吐息混じりに笑って。


「よかったら、敬語じゃなくていいよ。同い年だし」

「は、……うん」

「ありがとう」


平穏な空間に溶けるような笑みが、黒瀬君の口元からこぼれた。
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