風薫る
残念に思いながら黒瀬君に近づくうちに、だんだんと話の内容が聞こえてきた。


ここは図書室だからね、二人とも一応周りにはばかって声を低めていて、剣呑そうな雰囲気で何か言い合ってるのは分かったんだけれど、何を言い合ってるのかよく分からなかったんだよね。


「だから、あたしの方が……!」

「すみません。俺はそうは思いませんから」


わ、久しぶりに黒瀬君の敬語を聞いた。ですますなんて、今はものすごく照れたときにしか聞かない。


そうは思わないので、とかそうは思わないですね、とかじゃなくて、綺麗にそうは思いませんっていうのが黒瀬君らしかった。


ちょうど女の子は本棚に背を向けていて、こちらに気づいていない。


話はまだ終わらなさそうだから、大人しく本を読んでいよう。終わって区切りがついたら、合図さえしておけば、後で黒瀬君が来てくれると思う。


うるさくしないようにそろりそろりと移動していたら、合図をするまでもなく、隣の本棚から通路に出たところでばっちり目が合った。


軽く瞠目した目をそれと分からないように元に戻して、「その本棚のところにいる?」って言うみたいにちらりと目線をくれる。


そうです。いますいます。頷いて、一応目的の、黒瀬君たちの目の前の本棚を指差す。


うまく伝わってないとか、勘違いとかだと困るからね。あっちの椅子に座って読書してるね、の合図。

この奥にいますって伝わるかはともかく、ひとまずこの辺りにいるんだなあって伝われば、後で合流できるよね。


ちゃんと伝わったみたいで、黒瀬君が頷く代わりにそっと瞬きをした。よかった。


よし、じゃあ本を選びに——


「だからっ、その木戸さん? とかいう人じゃなくて、あたしと付き合って欲しいんだってば!」


——え? ええと、うーんと。……ちょっと、読書は取りやめようかな。
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