風薫る
つかえた胸が、ひどく苦しかった。

あなたなんか、と叫びたかった。あなたに黒瀬君の彼女になる資格なんかない、と叫んでしまいたかった。


その叫ぶ資格こそが私にはないから、真っ赤な顔で震える唇を噛み締める。


泣かないように押さえつけた涙のせいで視界がぐしゃぐしゃに歪んでいるけれど、とにかく前だけを。


「長野さん」


割り込んでしまってから今まで黙っていた黒瀬君が、静かに言った。


ナガノサン。


ナガノサンとは何だろうと思う間もなく、女の子の頬が嬉しそうに紅潮して、彼女は長野さんというのだと知った。


「うん、何っ? あたし」

「帰ってください」


その拒絶はあまりにはっきりしすぎていて、からりと乾いた空気みたいに呆気なく耳を通り、そして、頭の中でゆっくり回った。


「……え?」

「帰ってください」


呆けたまま立ちすくむ長野さんに、黒瀬君は二度繰り返した。


後ろを振り返らなくても分かる。黒瀬君はどこまでも無表情だ。


「あなたとはお付き合いできませんと何度も言いました。本なんかと言うあなたとは、絶対に付き合いたくありません。デートもしたくありません」

「……あたし」

「はっきり言いましょうか。迷惑です」

「あたしっ」


言い募る表情は、泣きそうに歪んでいて。


「長野さん。帰ってください」


淡々とした有無を言わせない拒絶に、きつく唇を噛み。私をひと睨みしてから、長野さんは勢いよく図書室を飛び出して行った。


甘くて重い香水の残り香が鼻をくすぐる。高い足音が、廊下をどんどん遠ざかる。


足音が完全に聞こえなくなったとき、ようやくおそるおそる周りを見渡してみたら、静かで広い図書室にいるのは、私と黒瀬君の二人だけだった。


あれほど集まっていた人たちは、いつの間にかすっかりいなくなっていた。
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