風薫る
「黒瀬君」

「……うん」


嗄れた相槌に、努めて明るく話しかける。


「森下さんが新刊出したの、知ってた?」

「え」


黒瀬君が途端にがばりと顔を上げて、私を離して、まんまるに見開かれた目をこちらに向けた。


「知らなかった読まなきゃ買わないと!」

「帰り、一緒に書店行かない?」

「もちろん!」

「二巻連続刊行なんだって。今月の分は私が買うから、来月の分は貸してもらえないかなあ」

「うん、いいよもちろんだよ! うわあああそっかあ新刊かあ……!」


にこにこする黒瀬君につられて、ふふふ、と私も笑った。


やっぱり黒瀬君は、本の話をしているときが一番いい。

目を輝かせて待ちきれないと笑みこぼれるのが、一番素敵だよね。


私も幸せに埋めたいな、と思った。


黒瀬君と二人で、黒瀬君のことを考えて、大好きな読書をして、あいてる時間を全部、幸せに過ごしたいなと思った。


ただ、君は君であれ。それだけ。


私が私であることも、黒瀬君が黒瀬君であることも、二人とも本が好きなことも、誰にも何にも妨げられない。

意思を曲げない。

諦めるなんてことしたくない。


二人で貸し借りしたり一緒に読んだりした本が、三桁を数える頃だった。
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