風薫る
「っ、はあ、……こんにちは、木戸さん」

「こんにちは」


黒瀬君が息を整える時間を稼ぐために、私は普段よりずっとゆっくり話した。


「あのね、遅くなっても気にしなくて大丈夫だからね」


黒瀬君は気を使ってくれるだろう。少しくらい無理をするだろう。

そんなのは嫌だよ。


いや、でも、と困った顔をした黒瀬君を見つめる。


「待ってるのは私の都合だよ」


黒瀬君は首を振って苦く笑った。


「待たせてるのは俺の都合だよ」


彼なりに思うところがあるのだろうけれど、黒瀬君が悪いなんてこと絶対ないと思う。


伏せられた目を覗き込む。


「違うよ。待っていたいのは私の都合だよ」


話したいから私はここに来ていて、黒瀬君を待っていたいの。


「……待ってたいとか優しいこと、そこで言わないでよ……」


くしゃりと黒瀬君が短く前髪を乱した。


言うよ、何度でも。黒瀬君に伝わるまで。


話すの楽しかったよ。

貸してくれた本はやっぱり面白かった。


今日も明日も明後日も、図書室で待っていたいんだ。


こんにちはって空気を優しく震わせる挨拶を聞いて、

一つ椅子をあけて座って、

はいって、また本を渡したらそれだけで何か伝わる気がする。


「私の我がままだよ」


そんなことない、と黒瀬君は首をまた振って。


「俺も、……待ってて欲しい、です」


照れながら言葉をくれた。
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