風薫る
「え」


どういうことだ。

何もないのにこの針のむしろみたいな状況で笑えなんて、無茶なことをおっしゃる。


「笑って。ね?」


お手本を示すみたいに、黒瀬君が綺麗に笑う。


とりあえず分からないなりに考えて、黒瀬君が何かしらの策を持って言ったのは分かったから、優しい「ね?」に釣られて私も笑った。


周りの部活のかけ声と低いざわめきは案外うるさくて、よく聞こえるようにという配慮からか、黒瀬君が距離を詰める。


私と黒瀬君の距離は、残り鞄二つ分で。

あのね、と囁く口元は完全にパーソナルスペースを割っている。


「一緒にいるのに、二人ともすんごく真面目な顔して話してるから目立つんだよ」

「そうなの?」

「う、うん、そう」


そうなのかあ。だから笑ってって言ったんだね。


私と黒瀬君とでは知名度が違う。


有名な黒瀬君なりの状況があって、対処法がもう分かっているなら従った方が丸く収まるだろう。

黒瀬君が言うなら、黒瀬君といるときはそうしたらいいんだろうな。


笑っていればいいなら簡単だ。


黒瀬君はちょっとどもっていたけれど、まあ特別気にすることでもない。
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