頑張ってないけど、死んでいいですか。
頑張ってないけど死んでいいですか
ストレス社会と言われる現代、多くの人が鬱を患って苦しんでいるという。インターネットの啓蒙サイトやカウンセラーの言葉としてよく見聞きするのが、
「もう、あなたは十分に頑張ったよ。」
という言葉だ。
鬱になりやすい人は、真面目で責任感の強い人だという。一生懸命頑張りすぎて、気がつかぬ間に気力をすり減らし、ついには動けなくなってしまうのだという。
僕は大学生だ。大学生で、やる気がない。そんなものはとっくに売り切れて、入荷の予定なんてまるでたっていない。
大学に入った頃は、なんだか色々やろうとしていた気がする。朝から授業にも出たし、サークル活動だってしてた。それがどうだろう。今では家から出ない。時折、食料品を買いにいくだけ。こたつと冷蔵庫、トイレの間をいったりきたりするだけの生活。
あれだけサークルのメンバーとは仲良くしていたのに、もはや人と会うのが億劫だ。それでいて、誰にも会わない日は寂しい。会わない間にどんどん、他人が未知のものになっていく。よくしゃべっていた時には、友人たちがどんなことを考えているか知っていた気がするけれど、もはや何を考えてるのか全然わからない。だから、怖い。今までならば、同じ感覚で物事見て、同じ気持ちで発言していた。だから僕がぽろりと言った言葉を友人たちが否定する、なんてことはまずなかった。でも今はどうだろう。
わからない。僕の常識はすでに彼らの常識から遠くはなれて、時折、友人たちの何気ない一言が僕に取っては鋭利な刃物となる。
ひきこもりの僕に、心配性の友人たちが時折連絡をくれる。メシにいかないか、とか飲みにいかないかとか、カラオケにいかないかとか、誘いは色々だ。時にはソフトボールするからこないか、なんてのもある。
メシも飲みもカラオケも楽しいことは知っている。なのに、前々食指が動かない。一体どうなってるんだと思う。
何にもやる気がない。もうかれこれ一年ぐらいやる気がない。そう漏らしたら、それは鬱じゃないかと言った友人がいた。でも、鬱の発覚って、そうと気づかない人がぶったおれるとかして、周りが「あなたは頑張り過ぎだよ。少し休もうよ」って始まる、そういうものなんじゃなかったのか?
ずっと家にいるもんだから、暇つぶしにネットサーフィンぐらいはやってる。友人の鬱じゃないか発言が気になって、google 先生に毎日のように鬱について尋ねる。
有象無象のサイト、患者によるブログ。周りの誰かが鬱になった人のブログ。甘やかしてくる言葉も、急所をずばっとついてくる言葉も、なんだかヒリヒリと痛い言葉も、たくさん出てくる。あまりにもいっぱいあって、なんだか情報の海に溺れそうになる。
それでいて、いくつもいくつも見ていると、だいたい何パターンかの内容に分けられてしまうことがわかってくる。おんなじ情報をもとに、書き換えて出してるのかな?なんて思うぐらい同じ内容が繰り返し出てくることに気がつく。自分の言葉で書いているページがとても貴重であることに、気がつく。
「もう、あなたは十分に頑張ったよ。」
という言葉だ。
鬱になりやすい人は、真面目で責任感の強い人だという。一生懸命頑張りすぎて、気がつかぬ間に気力をすり減らし、ついには動けなくなってしまうのだという。
僕は大学生だ。大学生で、やる気がない。そんなものはとっくに売り切れて、入荷の予定なんてまるでたっていない。
大学に入った頃は、なんだか色々やろうとしていた気がする。朝から授業にも出たし、サークル活動だってしてた。それがどうだろう。今では家から出ない。時折、食料品を買いにいくだけ。こたつと冷蔵庫、トイレの間をいったりきたりするだけの生活。
あれだけサークルのメンバーとは仲良くしていたのに、もはや人と会うのが億劫だ。それでいて、誰にも会わない日は寂しい。会わない間にどんどん、他人が未知のものになっていく。よくしゃべっていた時には、友人たちがどんなことを考えているか知っていた気がするけれど、もはや何を考えてるのか全然わからない。だから、怖い。今までならば、同じ感覚で物事見て、同じ気持ちで発言していた。だから僕がぽろりと言った言葉を友人たちが否定する、なんてことはまずなかった。でも今はどうだろう。
わからない。僕の常識はすでに彼らの常識から遠くはなれて、時折、友人たちの何気ない一言が僕に取っては鋭利な刃物となる。
ひきこもりの僕に、心配性の友人たちが時折連絡をくれる。メシにいかないか、とか飲みにいかないかとか、カラオケにいかないかとか、誘いは色々だ。時にはソフトボールするからこないか、なんてのもある。
メシも飲みもカラオケも楽しいことは知っている。なのに、前々食指が動かない。一体どうなってるんだと思う。
何にもやる気がない。もうかれこれ一年ぐらいやる気がない。そう漏らしたら、それは鬱じゃないかと言った友人がいた。でも、鬱の発覚って、そうと気づかない人がぶったおれるとかして、周りが「あなたは頑張り過ぎだよ。少し休もうよ」って始まる、そういうものなんじゃなかったのか?
ずっと家にいるもんだから、暇つぶしにネットサーフィンぐらいはやってる。友人の鬱じゃないか発言が気になって、google 先生に毎日のように鬱について尋ねる。
有象無象のサイト、患者によるブログ。周りの誰かが鬱になった人のブログ。甘やかしてくる言葉も、急所をずばっとついてくる言葉も、なんだかヒリヒリと痛い言葉も、たくさん出てくる。あまりにもいっぱいあって、なんだか情報の海に溺れそうになる。
それでいて、いくつもいくつも見ていると、だいたい何パターンかの内容に分けられてしまうことがわかってくる。おんなじ情報をもとに、書き換えて出してるのかな?なんて思うぐらい同じ内容が繰り返し出てくることに気がつく。自分の言葉で書いているページがとても貴重であることに、気がつく。