だから俺様は恋を歌う
第十三話 フルコンプはたしかに魅力的だけど
世の中、聞きたくても聞けないことというのがある。
たとえば、朝の食卓でお父さんと兄ちゃんが険悪だなと思っても、本人たちを前にしてはなかなか聞けない、ということとか。
思いきって聞いてみて、それが藪蛇になるってこともある。この場合は私が見たがっていた映画をお父さんと兄ちゃんのどちらが誘うか、というくだらない争いの末に朝食の席でも冷戦が続いていたという、とっても聞きたくない話だった。
何となく聞き辛いな、と直感する話題というのは大体がこの藪蛇を心のどこかで感じ取っているからだというのが、私のこれまでの経験による持論だ。
だから、北大路のことが気になって仕方なくて一晩中悶々としたくせに、私は聞くことができなかった。
気になって気になってどうしようもなくて、ついチラチラ北大路を見てしまって、それに気づいた北大路に投げキッスやウィンクをもらってしまってぶん殴りたくなる衝動を抑えるくらいなら聞いてしまえばよかったのに、聞けなかった。
『バンドを辞めたのはメンバーの彼女に手を出したからって本当?』だなんて、聞けるわけがない。
でも、そのことについて知る機会は唐突に訪れた。
「欲しいものは何が何でも欲しいって、姫川ちゃんならわかってくれるよね? だって、オタクの人ってイベントがあったら徹夜で並ぶし、欲しいグッズが手に入らなかったらオークションに高額突っ込むじゃん? それと同じなの、これは」
ああ、わかるよ! わかるとも! と目の前の可愛い女子の言い分に私はおおいに同意した。
でも、できたらその手にフリフリ持っているスマホを渡して欲しい。そこにある写真を消さない限り、私は逃げられない。別に拘束されているわけでもないのに、私はバッチリ人質になってしまっていた。
それをしっかりわかっている目の前の彼女は、ニヤリと笑う。
彼女との出会いは、今から十五分ほど前に遡る。
「あ、あの……姫川さん。廊下で三組の子が呼んでるよ」
ホームルームが終わってカバンに荷物を詰めていると、そう本田さんに声をかけられた。
あの事件のあと、白川以外には謝られて、表面上は和解したのだけれど、何だかビクビクされるようになった。まあ、舐められているよりはましだけれど理由がわからない。
「え、呼び出し? やだな」
「いや、そんな感じじゃなくてにこやかだったよ。じゃあ、伝えたからっ」
どんな子が呼んでいるか尋ねたかったけれど、本田さんは何かに怯えるように行ってしまった。仕方なく、私はサナを待たせて廊下に出た。
「姫川さん!」
そこにいたのは、見知らぬ女子だった。六クラスあるから、二年になっても知らない子というのは当然いる。三組なら五組の私と体育で一緒になることもない。というわけで完全に面識のない女子が、私に向かってフレンドリーに手を振っていた。
「あの、どちら様?」
「ワタシは盛田美結。姫川ちゃん、目線くださーい」
「ぎゃっ⁉︎」
その盛田と名乗る女子は軽い足取りで間合いを詰めると、突然私のスカートをめくり、それをあろうことかスマホで撮影した。
「よぉし、バッチリ写ってる! これをばらまかれたくなかったら、今から私と一緒に来て。それだけでいいから。用が済めばちゃんと消すし」
そう言って彼女が掲げたスマホの画面には、私の顔と、私のおパンツ様がしっかりとおさめられていた。オージーザス。
パンチラ写真を盾にされたら、私は従わざるを得ない。
明らかにコミュ力高そうな盛田さんなら、さぞたくさんお友達がいるだろう。その人たちすべてにこの写真を送られるくらいなら、ここは言うことを聞いた方が懸命というものだ。
「あの、そんなことしなくても頼み事? なら聞くから」
「じゃあついてきて。……大丈夫、怖い思いさせるのが目的じゃないから、変なところには行かないよ」
私の不安を感じ取ったのか、盛田さんはにっこり微笑んで、それから歩き出した。
私は黙って、それに続いた。
そして私たちは、特別棟の裏に到着した。
特別棟の裏はハンドボールコートや武道館に向かう道に面していて、もう少ししたら吹奏楽部の子たちが自主練しに来るような場所だ。
別段人気のない場所を選んだというわけではなさそうで、私はひとまず安心する。
「姫川ちゃんには、涼介くんを呼び出して欲しいの」
くるりと、お尻が見えてしまいそうなほど短いスカートを翻して、盛田さんはこちらを振り返った。太っているわけではないけれど肉感的な太ももや、ぷっくりとした飴玉みたいな唇が印象的な子だ。
美少女ではないけれど、可愛い。しかも、こうして対峙してもあまり嫌な感じを受けないのは、たぶん彼女が私に敵愾心を持っていないからだと思う。
まあ、いきなりスカートをめくることには凶悪性は感じるけれど。
「涼介くんって、北大路のこと? ……連絡先なら教えるけど」
「ダメなの。美結だってわかったら絶対無視するもん。でも……美結は涼介くんとお話しなくちゃいけないの。だから、お願い」
「……と言われましても」
シチュエーションが怪しすぎるじゃん、と私は思ってしまう。いくら自分のパンチラ写真がかかっていても、この状況に北大路を呼び出していいものかと。
「軽音部のことで大事な話がある、って言ったら姫川ちゃんはわかってくれるかな? 今、涼介くんと一緒に音楽やってるんだよね? ……美結、協力してくれる人を見つけるために色々調べたんだよ。だから、姫川ちゃんが最近涼介くんと仲良しなのもちゃんと知ってるんだよー」
盛田さんは私の心の中などまるでお見通しというように、先の先まで一気にしゃべった。そのにっこりとした顔は、それを聞けば私の気持ちが動くことをわかっているという顔だった。
「軽音部のことって……盛田さんってまさか、北大路のバンドのギターの」
「そう、彼女だよ。あ、大丈夫。涼介くんが美結に手を出したっていうのはデマだから。涼介くんがバンド辞めたのは、本当はもっと別の事情だよ」
盛田さんは、私を安心させるように微笑んだ。
深い事情の部分はまだよく見えてこないけれど、とりあえずこの人のことを信用してみてもいいのかなという気がしてくる。怪しいけれど、まあ害はないかな? というくらいの信用。
それに、北大路を呼んで軽音部に関する大事な話とやらを一緒に聞きたい。
「私が呼んでも来るかわからないけど、今から呼んでみるね」
だから私は、北大路へ特別棟裏に来て欲しいという旨のメッセージを送ったのだった。
「姫川ちゃんは漫研ってことは、オタクだよね?」
「うん、まあ世間的に見れば」
「ラバーストラップとかお気にのキャラのグッズは、無限回収したい派?」
「ううん、さすがに高校生ではあれをやったら身がもたないから、とりあえず一個手に入ればいいかな派」
「なるほどねー」
待ち時間を退屈させないためか、盛田さんはかなり私に寄り添った話題で会話をしてくれようとしている。しかも、ちょっとオタク界隈に詳しいような。それだけでちょっと、親しみが持てる気がしてきた。
「美結もね、そういう収集癖っていうのは理解できるんだ。美結の場合、集めても気持ちが満たされるだけで目に見えないんだけどね」
「それって何?」
盛田さんって意外とオタクなのだろうか。確かにこういう普通っぽい可愛い子が、特定のジャンルにどハマりしてアニメグッズを取り扱うショップとかに来てる、なんてのも見かけるけれど。もしかしたら同じものが好きで仲良くなれたりするかしら――私はそんな期待を持って盛田さんを見つめた。
でも、そんな期待は彼女の言葉に打ち砕かれる。
「美結のコレクションはね、カッコイイ男の子! 美結、狙った男の子とは絶対にヤっちゃうんだー」
(な、なんだって⁉︎)
私は声にならない声で叫んだ。と同時に、頭のどこかで警報が鳴りだしたのを感じていた。
(あ、これアカンやつですわ。)
気づいたけれど、もう遅い。
世の中には、バンドマンと関係を持つことを趣味とするようなバンドの追っかけの女の子がいるのいうのは、聞いたことがあった。本命の彼女になれなくても構わないから、ワンナイトラブな関係を求めるという、アレ。
オタクな私にとっては巷説の中でしか聞いたことがない都市伝説のような生き物が今、目の前にいるということなのだろうか。
それなら、盛田さんが北大路を呼び出した理由というのは、おそらく……
「涼介くんだけなんだー。美結が誘ったのにヤらせてくれなかったの。でもそれじゃ、美結の中のコレクションシートが埋まらないの! そんなの嫌なの!」
盛田さんは、可愛く体をくねらせながら言った。そして前述の会話に戻るのである。
たとえば、朝の食卓でお父さんと兄ちゃんが険悪だなと思っても、本人たちを前にしてはなかなか聞けない、ということとか。
思いきって聞いてみて、それが藪蛇になるってこともある。この場合は私が見たがっていた映画をお父さんと兄ちゃんのどちらが誘うか、というくだらない争いの末に朝食の席でも冷戦が続いていたという、とっても聞きたくない話だった。
何となく聞き辛いな、と直感する話題というのは大体がこの藪蛇を心のどこかで感じ取っているからだというのが、私のこれまでの経験による持論だ。
だから、北大路のことが気になって仕方なくて一晩中悶々としたくせに、私は聞くことができなかった。
気になって気になってどうしようもなくて、ついチラチラ北大路を見てしまって、それに気づいた北大路に投げキッスやウィンクをもらってしまってぶん殴りたくなる衝動を抑えるくらいなら聞いてしまえばよかったのに、聞けなかった。
『バンドを辞めたのはメンバーの彼女に手を出したからって本当?』だなんて、聞けるわけがない。
でも、そのことについて知る機会は唐突に訪れた。
「欲しいものは何が何でも欲しいって、姫川ちゃんならわかってくれるよね? だって、オタクの人ってイベントがあったら徹夜で並ぶし、欲しいグッズが手に入らなかったらオークションに高額突っ込むじゃん? それと同じなの、これは」
ああ、わかるよ! わかるとも! と目の前の可愛い女子の言い分に私はおおいに同意した。
でも、できたらその手にフリフリ持っているスマホを渡して欲しい。そこにある写真を消さない限り、私は逃げられない。別に拘束されているわけでもないのに、私はバッチリ人質になってしまっていた。
それをしっかりわかっている目の前の彼女は、ニヤリと笑う。
彼女との出会いは、今から十五分ほど前に遡る。
「あ、あの……姫川さん。廊下で三組の子が呼んでるよ」
ホームルームが終わってカバンに荷物を詰めていると、そう本田さんに声をかけられた。
あの事件のあと、白川以外には謝られて、表面上は和解したのだけれど、何だかビクビクされるようになった。まあ、舐められているよりはましだけれど理由がわからない。
「え、呼び出し? やだな」
「いや、そんな感じじゃなくてにこやかだったよ。じゃあ、伝えたからっ」
どんな子が呼んでいるか尋ねたかったけれど、本田さんは何かに怯えるように行ってしまった。仕方なく、私はサナを待たせて廊下に出た。
「姫川さん!」
そこにいたのは、見知らぬ女子だった。六クラスあるから、二年になっても知らない子というのは当然いる。三組なら五組の私と体育で一緒になることもない。というわけで完全に面識のない女子が、私に向かってフレンドリーに手を振っていた。
「あの、どちら様?」
「ワタシは盛田美結。姫川ちゃん、目線くださーい」
「ぎゃっ⁉︎」
その盛田と名乗る女子は軽い足取りで間合いを詰めると、突然私のスカートをめくり、それをあろうことかスマホで撮影した。
「よぉし、バッチリ写ってる! これをばらまかれたくなかったら、今から私と一緒に来て。それだけでいいから。用が済めばちゃんと消すし」
そう言って彼女が掲げたスマホの画面には、私の顔と、私のおパンツ様がしっかりとおさめられていた。オージーザス。
パンチラ写真を盾にされたら、私は従わざるを得ない。
明らかにコミュ力高そうな盛田さんなら、さぞたくさんお友達がいるだろう。その人たちすべてにこの写真を送られるくらいなら、ここは言うことを聞いた方が懸命というものだ。
「あの、そんなことしなくても頼み事? なら聞くから」
「じゃあついてきて。……大丈夫、怖い思いさせるのが目的じゃないから、変なところには行かないよ」
私の不安を感じ取ったのか、盛田さんはにっこり微笑んで、それから歩き出した。
私は黙って、それに続いた。
そして私たちは、特別棟の裏に到着した。
特別棟の裏はハンドボールコートや武道館に向かう道に面していて、もう少ししたら吹奏楽部の子たちが自主練しに来るような場所だ。
別段人気のない場所を選んだというわけではなさそうで、私はひとまず安心する。
「姫川ちゃんには、涼介くんを呼び出して欲しいの」
くるりと、お尻が見えてしまいそうなほど短いスカートを翻して、盛田さんはこちらを振り返った。太っているわけではないけれど肉感的な太ももや、ぷっくりとした飴玉みたいな唇が印象的な子だ。
美少女ではないけれど、可愛い。しかも、こうして対峙してもあまり嫌な感じを受けないのは、たぶん彼女が私に敵愾心を持っていないからだと思う。
まあ、いきなりスカートをめくることには凶悪性は感じるけれど。
「涼介くんって、北大路のこと? ……連絡先なら教えるけど」
「ダメなの。美結だってわかったら絶対無視するもん。でも……美結は涼介くんとお話しなくちゃいけないの。だから、お願い」
「……と言われましても」
シチュエーションが怪しすぎるじゃん、と私は思ってしまう。いくら自分のパンチラ写真がかかっていても、この状況に北大路を呼び出していいものかと。
「軽音部のことで大事な話がある、って言ったら姫川ちゃんはわかってくれるかな? 今、涼介くんと一緒に音楽やってるんだよね? ……美結、協力してくれる人を見つけるために色々調べたんだよ。だから、姫川ちゃんが最近涼介くんと仲良しなのもちゃんと知ってるんだよー」
盛田さんは私の心の中などまるでお見通しというように、先の先まで一気にしゃべった。そのにっこりとした顔は、それを聞けば私の気持ちが動くことをわかっているという顔だった。
「軽音部のことって……盛田さんってまさか、北大路のバンドのギターの」
「そう、彼女だよ。あ、大丈夫。涼介くんが美結に手を出したっていうのはデマだから。涼介くんがバンド辞めたのは、本当はもっと別の事情だよ」
盛田さんは、私を安心させるように微笑んだ。
深い事情の部分はまだよく見えてこないけれど、とりあえずこの人のことを信用してみてもいいのかなという気がしてくる。怪しいけれど、まあ害はないかな? というくらいの信用。
それに、北大路を呼んで軽音部に関する大事な話とやらを一緒に聞きたい。
「私が呼んでも来るかわからないけど、今から呼んでみるね」
だから私は、北大路へ特別棟裏に来て欲しいという旨のメッセージを送ったのだった。
「姫川ちゃんは漫研ってことは、オタクだよね?」
「うん、まあ世間的に見れば」
「ラバーストラップとかお気にのキャラのグッズは、無限回収したい派?」
「ううん、さすがに高校生ではあれをやったら身がもたないから、とりあえず一個手に入ればいいかな派」
「なるほどねー」
待ち時間を退屈させないためか、盛田さんはかなり私に寄り添った話題で会話をしてくれようとしている。しかも、ちょっとオタク界隈に詳しいような。それだけでちょっと、親しみが持てる気がしてきた。
「美結もね、そういう収集癖っていうのは理解できるんだ。美結の場合、集めても気持ちが満たされるだけで目に見えないんだけどね」
「それって何?」
盛田さんって意外とオタクなのだろうか。確かにこういう普通っぽい可愛い子が、特定のジャンルにどハマりしてアニメグッズを取り扱うショップとかに来てる、なんてのも見かけるけれど。もしかしたら同じものが好きで仲良くなれたりするかしら――私はそんな期待を持って盛田さんを見つめた。
でも、そんな期待は彼女の言葉に打ち砕かれる。
「美結のコレクションはね、カッコイイ男の子! 美結、狙った男の子とは絶対にヤっちゃうんだー」
(な、なんだって⁉︎)
私は声にならない声で叫んだ。と同時に、頭のどこかで警報が鳴りだしたのを感じていた。
(あ、これアカンやつですわ。)
気づいたけれど、もう遅い。
世の中には、バンドマンと関係を持つことを趣味とするようなバンドの追っかけの女の子がいるのいうのは、聞いたことがあった。本命の彼女になれなくても構わないから、ワンナイトラブな関係を求めるという、アレ。
オタクな私にとっては巷説の中でしか聞いたことがない都市伝説のような生き物が今、目の前にいるということなのだろうか。
それなら、盛田さんが北大路を呼び出した理由というのは、おそらく……
「涼介くんだけなんだー。美結が誘ったのにヤらせてくれなかったの。でもそれじゃ、美結の中のコレクションシートが埋まらないの! そんなの嫌なの!」
盛田さんは、可愛く体をくねらせながら言った。そして前述の会話に戻るのである。