だから俺様は恋を歌う
第十六話 初めてだから
文化祭まであと三日。
そこまで日にちが迫ってくるとさすがにやる気になるのか、ようやく準備も捗るようになった。
看板や更衣スペースなんかの準備は完了して、あとは細かな飾りつけやセッティングだけだ。
文化部の人たちは部活の展示や発表のために抜けることが多くなってしまったけれど、その分これまでふざけていた面々が積極的に手伝うようになって、なかなかバランスが取れていた。
お祭り独特の空気の中で、クラスの結束みたいなものが生まれつつあるのが感じられる。
だから、私も漫研のほうへ顔を出しても良かったのだけれど、特に準備することもないから教室にいた。
今は紙テープで星を作ろうということになり、手の空いた人たちでちまちまと量産しているところだ。その作業の恐ろしいほどの地味さに何人かはリタイアしたけれど、私はなかなか気に入っていた。
こういう細かな作業は、没頭すれば何も考えずに済むから楽だ。特に今は、気を抜くとすぐに気持ちが沈んでしまうから。
余計なことを考えるくらいなら、星作りマシーンになっていたほうがいい。
「姫ちゃん、すごいね。大量じゃん」
「楽しくて、つい作っちゃった」
「真田さんもすごい勢いで作るから、ここの机だけ大変なことになってるよ」
「やり始めたら止まらなくってー」
普段なかなか話すことがないクラスメイトとも打ち解けて、こんなふうに会話するようになった。当たり前だけれど、白川たちみたいなのがイレギュラーで、大抵の子たちが普通に仲良くできるのだなとしみじみ思う。
サナも看板のおかげで面白い子だということが広まって、急速に周囲と打ち解けてきていた。それを良いことに、サナは「面白い漫画貸してあげる」と言って、こっそりとクラス内に腐海の毒を撒き散らしていた。……知らぬ間に、教室のどこかで今日も新たな毒の花が開花しているのかもしれないと思うと、ちょっぴりワクワクしてしまう。
「そういえば、北大路くん、バンドに復帰したんだってね。ステージ楽しみだねぇ」
星量産工場と貸した私とサナがいる机にやってきた子たちが、無邪気にそんなことを言う。
北大路がネットに投稿した『歌ってみた』の楽曲を私が作ったということは、すっかり周知のこととなっていた。そのせいか、私との話題は北大路のことを、みたいに思うらしい。
「何か、姫ちゃんが和解させたんでしょ? すごいねー」
「いやいや。私はただその場にたまたま居合わせただけだから……」
北大路がバンドに戻ったという話も、あっという間に広まっていた。ついでに、私が何か関与したのだという尾ひれまでついて。
でも実際のところ、私は何もしていない。
軽音部の北大路をめぐる揉め事の顛末を知ることにはなったけれど、黙って見ているあいだにすべて終わっていたのだ。
メンバーの誤解が解け、北大路はバンドへ帰って行った。ただ、それだけのこと。
あれ以降、北大路は軽音部の練習に顔を出していて、クラスの準備には参加していない。
北大路のファンの子たちは大喜びで、しょっちゅう入れ替わり立ち替わりその練習風景を見に行っているようだ。かっこよかったとか、前より上手くなっていたとか、教室で作業をしているとそんなことが耳に入ってくる。
文化祭準備のお祭り騒ぎの空気も手伝って、北大路の周りは賑やかしい。休み時間も女子に囲まれていることが多くて、その結果、ここ数日はちょっとした言葉を交わすだけでほとんど口を聞いていなかった。
少し前なら、そんなこと気にならなかったのに。むしろ喜んでいたような気がするのに。今はそのことがすごく私を苦しくさせていた。
サナに連れられて軽音部の練習をちらっと見に行ったけれど、いきいきと歌っている北大路は、何だかまぶしくて近寄りがたかった。だから結局、声もかけずにそのまま帰った。
「メーちゃん、疲れてない? 休憩しに行こう」
サナが気遣わしげな顔で私を見てそう言った。
「そうだね。ジュース買いに行かない?」
その視線から逃れるようにそう言って席を立って、私は歩き出した。
様子がおかしいのなんてとっくにバレていて、隠し通すことができないということは、元からわかっていた。それでも、もう少しだけごまかしていたいのだ。……自分をか、サナをかなのかわからないけれど。
「何か、お祭り騒ぎって感じだねー」
「本当にね」
「一年の頃って、まだ何となく慣れなくて、こういう雰囲気じゃなかった気がする。あれだね、二年は中だるみの二年とか先生たちに言われるあれだね」
「確かに私たち、たるんでるかも」
中庭の、木々の間にあるでっかい石に腰掛けてサナと取りとめもないおしゃべりをする。何のためにおかれているかわからないけれど、この石は二人のお気に入りのくつろぎスポットだ。
といっても自分たちで見つけたわけではなくて、漫研の部長から教えてもらった。部長も人から聞いたらしい。そのせいか、時々先客がいることもある。木々がほどよく目隠しになって、人の目から隠されるようで落ち着くから、ひとりになりたい人が来るのだろう。
「……メーちゃん、元気ないよね?」
軽いジャブのような会話を経て、ようやくサナがそう切り出した。いきなり右ストレートを打ってこないのがこの子の優しさだとわかるから、私は素直に頷く。
「キンヤくんのこと?」
「……うん」
何をどう説明すればいいのか、私は考えていた。北大路のことでモヤモヤしているけれど、それが何故なのか、どうすっきりしないのかをまだ言葉にできそうにない。
「北大路がバンドに戻っちゃったでしょ? たぶん、それが自分の中でひっかかってて。……あいつの声は絶対バンド音楽向きだから、戻れるなら戻れたらいいなって思ってたのに……」
とりあえず、思ったままを口にしてみた。
胸がすっきりとしないのは、北大路がバンドメンバーと和解してからなのだから、それが理由なのは明白だ。でも、同時に北大路がバンドに戻れてよかったという気持ちもある。
「メーちゃん、淋しいんだよ」
「そっか……私、淋しかったのか」
私の言葉を聞いて、サナはそう言った。それは、私も何となくわかっていたことだった。
一緒に音楽がやりたいと熱烈に言われ、最初は嫌だったのにやり始めたら楽しくなって、これから北大路に似合う曲を作ろうとやる気になっていた矢先だったから。淋しくなっても仕方がないと思う。
でも、それだけじゃないのだ。
淋しい、ということだけでは説明できない感情を、私は自分の中に見つけてしまっていた。
「でも、キンヤくんとはこれっきり一緒に音楽やらないってわけじゃないんだから、元気だしなよ」
「うん、そうだね」
労わるようなサナの優しい表情に、私はとりあえず頷いておく。バンドに戻ったからといって、金輪際一緒に音楽をやらないなんてことはないとわかっている。それでもやっぱり、淋しいのだ。
「あ、メーちゃん、あれ……」
唐突に、サナが木々の向こうを指差した。そこには、少し距離を開けて向き合う男女の姿。
さっきまでシリアスな感じになっていたというのに、サナと私は顔を見合わせて思わずニヤリとしてしまった。
だって、この状況はアレしかない。文化祭というお祭り騒ぎに乗じて、気になる異性にアタックしちゃおうというやつだろう。
ひと気のないところだと思ってここへ来たのだろうけれど、残念。にやけた女子二人がいました。
私たちは、申し訳ないと思いつつ、もっとよく二人の姿を見ようと、少しだけ移動した。
でも、直後にその行動が間違いだったと気づかされる。
「あたしね、北大路くんのことが好きなの!」
女子がそんなことを言うのが、私の耳に届いた。
思いきって言ったのだろう。ここからでもわかるくらい、その体は小刻みに震えている。
その子と向かい合って立っているのは、当然のことながら北大路だ。慣れているのか、こちらは平然としている。
私は、それを見て自分の心臓があり得ないくらい早鐘を打っているのを感じていた。こんなにドキドキ言い続けたら、明日には心臓が筋肉痛を起こすんじゃないかっていうくらいの早さだ。
女子は、北大路の反応を待っているのか、何も言わずただ目の前を見つめていた。今日のためにおしゃれをしていたのだろうか。スカートをぎゅっと握りしめる指先は、ピンク色に塗られているのがわかる。
それを見て、私は耐えられなくなって、気がつくとそっと走り出していた。そうでもしないと、あの場で大きな声でも出してしまいそうだったから。
そこまで日にちが迫ってくるとさすがにやる気になるのか、ようやく準備も捗るようになった。
看板や更衣スペースなんかの準備は完了して、あとは細かな飾りつけやセッティングだけだ。
文化部の人たちは部活の展示や発表のために抜けることが多くなってしまったけれど、その分これまでふざけていた面々が積極的に手伝うようになって、なかなかバランスが取れていた。
お祭り独特の空気の中で、クラスの結束みたいなものが生まれつつあるのが感じられる。
だから、私も漫研のほうへ顔を出しても良かったのだけれど、特に準備することもないから教室にいた。
今は紙テープで星を作ろうということになり、手の空いた人たちでちまちまと量産しているところだ。その作業の恐ろしいほどの地味さに何人かはリタイアしたけれど、私はなかなか気に入っていた。
こういう細かな作業は、没頭すれば何も考えずに済むから楽だ。特に今は、気を抜くとすぐに気持ちが沈んでしまうから。
余計なことを考えるくらいなら、星作りマシーンになっていたほうがいい。
「姫ちゃん、すごいね。大量じゃん」
「楽しくて、つい作っちゃった」
「真田さんもすごい勢いで作るから、ここの机だけ大変なことになってるよ」
「やり始めたら止まらなくってー」
普段なかなか話すことがないクラスメイトとも打ち解けて、こんなふうに会話するようになった。当たり前だけれど、白川たちみたいなのがイレギュラーで、大抵の子たちが普通に仲良くできるのだなとしみじみ思う。
サナも看板のおかげで面白い子だということが広まって、急速に周囲と打ち解けてきていた。それを良いことに、サナは「面白い漫画貸してあげる」と言って、こっそりとクラス内に腐海の毒を撒き散らしていた。……知らぬ間に、教室のどこかで今日も新たな毒の花が開花しているのかもしれないと思うと、ちょっぴりワクワクしてしまう。
「そういえば、北大路くん、バンドに復帰したんだってね。ステージ楽しみだねぇ」
星量産工場と貸した私とサナがいる机にやってきた子たちが、無邪気にそんなことを言う。
北大路がネットに投稿した『歌ってみた』の楽曲を私が作ったということは、すっかり周知のこととなっていた。そのせいか、私との話題は北大路のことを、みたいに思うらしい。
「何か、姫ちゃんが和解させたんでしょ? すごいねー」
「いやいや。私はただその場にたまたま居合わせただけだから……」
北大路がバンドに戻ったという話も、あっという間に広まっていた。ついでに、私が何か関与したのだという尾ひれまでついて。
でも実際のところ、私は何もしていない。
軽音部の北大路をめぐる揉め事の顛末を知ることにはなったけれど、黙って見ているあいだにすべて終わっていたのだ。
メンバーの誤解が解け、北大路はバンドへ帰って行った。ただ、それだけのこと。
あれ以降、北大路は軽音部の練習に顔を出していて、クラスの準備には参加していない。
北大路のファンの子たちは大喜びで、しょっちゅう入れ替わり立ち替わりその練習風景を見に行っているようだ。かっこよかったとか、前より上手くなっていたとか、教室で作業をしているとそんなことが耳に入ってくる。
文化祭準備のお祭り騒ぎの空気も手伝って、北大路の周りは賑やかしい。休み時間も女子に囲まれていることが多くて、その結果、ここ数日はちょっとした言葉を交わすだけでほとんど口を聞いていなかった。
少し前なら、そんなこと気にならなかったのに。むしろ喜んでいたような気がするのに。今はそのことがすごく私を苦しくさせていた。
サナに連れられて軽音部の練習をちらっと見に行ったけれど、いきいきと歌っている北大路は、何だかまぶしくて近寄りがたかった。だから結局、声もかけずにそのまま帰った。
「メーちゃん、疲れてない? 休憩しに行こう」
サナが気遣わしげな顔で私を見てそう言った。
「そうだね。ジュース買いに行かない?」
その視線から逃れるようにそう言って席を立って、私は歩き出した。
様子がおかしいのなんてとっくにバレていて、隠し通すことができないということは、元からわかっていた。それでも、もう少しだけごまかしていたいのだ。……自分をか、サナをかなのかわからないけれど。
「何か、お祭り騒ぎって感じだねー」
「本当にね」
「一年の頃って、まだ何となく慣れなくて、こういう雰囲気じゃなかった気がする。あれだね、二年は中だるみの二年とか先生たちに言われるあれだね」
「確かに私たち、たるんでるかも」
中庭の、木々の間にあるでっかい石に腰掛けてサナと取りとめもないおしゃべりをする。何のためにおかれているかわからないけれど、この石は二人のお気に入りのくつろぎスポットだ。
といっても自分たちで見つけたわけではなくて、漫研の部長から教えてもらった。部長も人から聞いたらしい。そのせいか、時々先客がいることもある。木々がほどよく目隠しになって、人の目から隠されるようで落ち着くから、ひとりになりたい人が来るのだろう。
「……メーちゃん、元気ないよね?」
軽いジャブのような会話を経て、ようやくサナがそう切り出した。いきなり右ストレートを打ってこないのがこの子の優しさだとわかるから、私は素直に頷く。
「キンヤくんのこと?」
「……うん」
何をどう説明すればいいのか、私は考えていた。北大路のことでモヤモヤしているけれど、それが何故なのか、どうすっきりしないのかをまだ言葉にできそうにない。
「北大路がバンドに戻っちゃったでしょ? たぶん、それが自分の中でひっかかってて。……あいつの声は絶対バンド音楽向きだから、戻れるなら戻れたらいいなって思ってたのに……」
とりあえず、思ったままを口にしてみた。
胸がすっきりとしないのは、北大路がバンドメンバーと和解してからなのだから、それが理由なのは明白だ。でも、同時に北大路がバンドに戻れてよかったという気持ちもある。
「メーちゃん、淋しいんだよ」
「そっか……私、淋しかったのか」
私の言葉を聞いて、サナはそう言った。それは、私も何となくわかっていたことだった。
一緒に音楽がやりたいと熱烈に言われ、最初は嫌だったのにやり始めたら楽しくなって、これから北大路に似合う曲を作ろうとやる気になっていた矢先だったから。淋しくなっても仕方がないと思う。
でも、それだけじゃないのだ。
淋しい、ということだけでは説明できない感情を、私は自分の中に見つけてしまっていた。
「でも、キンヤくんとはこれっきり一緒に音楽やらないってわけじゃないんだから、元気だしなよ」
「うん、そうだね」
労わるようなサナの優しい表情に、私はとりあえず頷いておく。バンドに戻ったからといって、金輪際一緒に音楽をやらないなんてことはないとわかっている。それでもやっぱり、淋しいのだ。
「あ、メーちゃん、あれ……」
唐突に、サナが木々の向こうを指差した。そこには、少し距離を開けて向き合う男女の姿。
さっきまでシリアスな感じになっていたというのに、サナと私は顔を見合わせて思わずニヤリとしてしまった。
だって、この状況はアレしかない。文化祭というお祭り騒ぎに乗じて、気になる異性にアタックしちゃおうというやつだろう。
ひと気のないところだと思ってここへ来たのだろうけれど、残念。にやけた女子二人がいました。
私たちは、申し訳ないと思いつつ、もっとよく二人の姿を見ようと、少しだけ移動した。
でも、直後にその行動が間違いだったと気づかされる。
「あたしね、北大路くんのことが好きなの!」
女子がそんなことを言うのが、私の耳に届いた。
思いきって言ったのだろう。ここからでもわかるくらい、その体は小刻みに震えている。
その子と向かい合って立っているのは、当然のことながら北大路だ。慣れているのか、こちらは平然としている。
私は、それを見て自分の心臓があり得ないくらい早鐘を打っているのを感じていた。こんなにドキドキ言い続けたら、明日には心臓が筋肉痛を起こすんじゃないかっていうくらいの早さだ。
女子は、北大路の反応を待っているのか、何も言わずただ目の前を見つめていた。今日のためにおしゃれをしていたのだろうか。スカートをぎゅっと握りしめる指先は、ピンク色に塗られているのがわかる。
それを見て、私は耐えられなくなって、気がつくとそっと走り出していた。そうでもしないと、あの場で大きな声でも出してしまいそうだったから。