浅葱の贖罪
1851年、4月22日
そう、この日はいつもと違っていた。苦しくて苦しくて堪らなかった。

今日こそは負けてしまうかもしれない、そう思った。

私には、何か悪い霊が憑いている。

なぜかそんな気がした。

そして、気が付くと足が進み、天然理心流がたびたび奉納している八坂神社へとたどり着いた。

「私は何をしているのだろうか。」

私がそう嘆いたことは、17年経った今でも鮮明に覚えている。




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