ヒトツボシ ーヤンキー家政夫と美味しい食事ー
お父さんと顔を合わすことが少なく、訊く機会がなかったということもあるけれど、
お父さんがお母さんのことを話さないので、訊きづらかったのだ。
お父さんがお母さんを大切に思っていることは何となく感じていた。
でも、その分、お父さんはお母さんの話をするのが辛いんじゃないか、と勝手に思っていた。
でも、それが本当に正しかったのだろうか。
亡くなってからもう12年以上たった。
薄れていく記憶を確かなものにするために、本当は私に語りたかったのかもしれない。
私だって、お母さんの形は記憶になく、ぼんやりとしか姿や顔を浮かべることができない。
それは自分のルーツを知らないようで、心の中にぽっかりと開いた穴を生む。
お母さんの形を確かなものにすることで、自分というものを確かなものにできる気がするんだ。