こじらせカップルに愛の手を
「セザキ」の接待の前日。
夜景が綺麗な高級フレンチの店で、俺は橋口との最後の夜を過ごしていた。
「さっきから、ため息ばかりですね」
「え? あっ。ごめんね」
慌てて笑顔を作ると、橋口はこう口にした。
「加藤さんのことですか?」
「あー、わかる?」
「わかりますよ。全然、口きいてないじゃないですか」
「まあ、俺が怒らせたんだけどな」
昨日の会議室でのケンカから、更に加藤は俺を避けるようになってしまった。
「明日のことは、いつ言うんですか? 私から言いましょうか?」
「いや、いいよ。直前にトラブル起こして残業押し付けるつもりだから。それなら、あいつのプライドも傷つけないで済むし」
悩んだ末、それが一番いいと思った。
まあ、どっちにしても俺は相当恨まれるんだろうけれど。
「そうですか…」
「たださ。あいつ、今回の準備頑張ってたからさ。それがちょっとな」
「やっぱり酷い人ですよね…。佐伯さんって」
橋口がワインを飲みながらそう言った。
「え?」
「明日セクハラされるかもしれない私の身は、少しも心配してくれないんですか?」
「あ…。ごめん。そうだよな」
「別にいいんですけど…」
橋口は拗ねたように言いながら、メインディッシュにナイフを入れる。
「橋口のことは責任もって守るから。心配しなくていいよ」
俺の言葉にその手が止まった。
「じゃあ…。セクハラされたら責任取って下さいね」
彼女は顔を上げて、にこりと微笑んだ。
───
──
こうして迎えた接待当日。
ひとつ想定外のことが起きた。
その日の昼休み、橋口がメンバー変更の件を加藤に伝えてしまったのだ。
怒った加藤は、早速俺のところに乗り込んできた。
なぜ自分を変えたのかとまくし立てる彼女に、咄嗟に俺はこう言った。
橋口を勉強の為にどうしても連れて行きたいのだと。だから今回は彼女に譲って欲しいと。
これなら加藤のプライドだけは守れると思ったから。
「もういいよ。佐伯になんか頼まないから!」
案の定、加藤は凄い剣幕で飛び出して行った。
俺はハッとして、すぐに彼女を追いかけた。
部長のところになんか行かれたら大変だと思ったからだ。
部長は加藤のことを、『女のくせに生意気だ』と陰では目の敵にしている。自分を行かせて欲しいと言いに来た加藤に何を言い出すか分かったもんじゃない。
とにかく気が気でなかった。
けれど、タイミング悪く企画部の部長につかまってしまい、しばらく足止めを食わされた。
ようやく解放され、部長のデスクにまで見に行ったけれど、そこに彼女の姿はなく…。
探し回った末、彼女を見つけたのは非常階段の踊り場だった。
「何か、用?」
素っ気なく呟いた彼女。
俺が謝ると『もう諦めたからいいよ』と顔をプイッと背けた。
とりあえずホッとした。
「それだけですか?」
彼女にそう聞かれて、俺は会議室での暴言を謝ろうと思った。
けれど、言いかけた途端、橋口が俺を呼びに来て何も言えないまま立ち去ってしまった。
加藤はあっさりひと言、『どうぞ』と返してきたけれど、俺は全く気づかなかった。
本当はこの時、彼女は深く傷つけられて、ひとりで泣いていたということに。