こじらせカップルに愛の手を
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「美海さん、結婚を前提にお付き合いして頂けますか?」
ホテルの庭園で、私をまっすぐに見つめる彼はお見合い相手の西條篤志(さいじょうあつし)さんだ。
5つ年上の34歳で、大手貿易会社に務めるエリート商社マン。顔だって悪くないし、何より誠実そうで優しそうな人。結婚相手には申し分ない相手なのだ。
ここでOKしてしまえば、おばあちゃんにも赤ちゃんを抱かせてあげられる。
もう、佐伯と橋口さんのそばで苦しい思いをしなくても済む。
「篤志さん…」
私は彼の顔をゆっくりと見上げた。
“ぜひお願いします”
そう答えようと思ったのに、代わりにポロポロと涙がこぼれ落ちてきた。
ダメだ…
どうしても佐伯の顔がチラついて頭から離れない。
今から3時間ほど前、私はホテルのラウンジで初めて篤志さんと会った。
スーツ姿で現れた彼を見て、素敵だなと思った。
新しい恋が始まるかもしれない。そんなふうにさえ感じた。
彼が予約してくれたレストランで食事をして、お互いのことをいろいろと話した。
彼の趣味はアウトドアと読書。
将来は、大きな犬が飼える庭付きの一戸建てに住み、子どもができたら家族みんなでキャンプに行くのか夢だと言っていた。
彼の描く未来予想図はとても魅力的で、彼と結婚したらきっと幸せになれるだろうなと思った。
それなのに…。
篤志さんのプロポーズを受けようとした瞬間、佐伯の顔が浮かんできてしまった。
どんなに素敵な未来予想図があったって、それを一緒に歩んでいきたいのは目の前にいる篤志さんなんかじゃない。佐伯だったから。
母から勧められたこのお見合い、結局、私にとっては佐伯へのあてつけでしかなかったのだ。
「美海さん? どうしたんですか?」
篤志さんが心配そうに顔を覗き込んでいる。
「篤志さん。ごめんなさい。私には、結婚前提の恋を始める準備も覚悟も、全然できていませんでした。こんな気持ちのまま来てしまって、本当にすみません」
私は篤志さんに向かって頭を下げた。
「美海さん…。どうか頭を上げて下さい」
「いえ。真剣に私とのことを考えて下さったのに、何てお詫びしたらいいか」
「そんなの謝ることじゃないですよ。美海さんには忘れられない人がいるんですよね?」
頭を下げ続ける私の耳元で、篤志さんがそう問いかけてくる。
「はい…すみません。忘れたいのに忘れられない人がいます。暫くは忘れられそうにありません」
「そうですか。でも、無理して忘れる必要はなさそうですよ。今度こそ、頑張ってみたらどうですか?」
「え?」
篤志さんの言葉に顔を上げたその瞬間、いきなり後ろから腕を引かれて誰かの胸に抱きしめられた。
「美海…。おまえ、ふざけんなよ。俺がどんな思いでおまえを諦めたと思ってんだよ…。 誰でもいいなら俺だっていいだろ」
ハアハアと息を切らせながら私を抱きしめているのは、まさかの佐伯だった。
「え…佐伯!? ちょっと、待って。何で?」
突然、現れた佐伯を見て、頭が混乱してしまった。
これは夢かなにかだろうか?
一方、篤志さんはそんな私とは対照的に、落ち着き払った様子で私たちの方を見つめていた。
まったく状況が掴めずに目を丸くしていると、佐伯は一旦私の体を離して、篤志さんの前に歩み出た。
「すいません。彼女はどうしても渡せません。申し訳ありません」
篤志さんに頭を下げる佐伯を見て、私も彼の隣で頭を下げた。
「篤志さん、ほんとにすみませんでした。このお見合いはなかったことにさせて下さい」
頭の中は真っ白だったけれど、とにかく迷惑をかけてしまった篤志さんにだけは、きちんと謝罪しなければと思ったのだ。
「いいですよ。わかりました。その代わり、ちゃんと美海さんを幸せにしてあげて下さい」
篤志さんの言葉に、佐伯は「もちろんです」と返すと、私の腕を掴んでスタスタと歩きだした。
何が起きているのか分からないまま、私は黙って佐伯に付いて行った。
ただ胸の鼓動だけが煩く音を立てていた。