彼がメガネを外したら…。


いつも絵里花は史明の側にいて、その力のすべてを尽くしてくれていた。
ここでひたすら古文書を解読していた時、城山へ行った時、学会へ行った時、その時々の史明に対する絵里花の行動や言葉。それらすべてに、絵里花の想いが潜んでいたのだと、今さらながらに史明は思い知った。


衝撃が過ぎ去り、硬直が融けた史明がそっと振り返ると、絵里花も抱きしめる力を緩め、二人は自然に向かい合い、見つめ合った。


「俺は十分に考えて、君の側にいるという結論を出したんだ。君がそうやって想ってくれてるのなら、なおさら俺はどこにも行かない」


そんな史明の決意を聞いても、絵里花にはまだ躊躇いがあった。


「でも……、やっぱり……」


その躊躇いをどうしたらいいのか分からず、絵里花は涙が溜まった目を伏せて唇を噛んだ。

史明には側にいてほしい。だけど、やっぱり『行かないで』とは、どうしても言えなかった。それほど国立の古文書館は、研究者ならば誰でも憧れる権威のある場所だった。


切なく顔を曇らせる絵里花を見て、史明は優しさを漂わせて息を抜いた。
そしてその時、絵里花の鼻先に何か柔らかいものが触れた。


「……?!」


「……えっ?間違えた!?メガネがないと……」


絵里花の目の前には少し焦っている史明の端正な顔があり、絵里花はびっくりして目を見張ったまま固まってしまう。
そんな絵里花に、史明は改めて囁いた。


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