伯爵夫妻の内緒話【番外編集】

その時、常には見せない素早さで、フリードが動いた。
下から斜め上をめがけて一気に剣を振り上げる。キィンという耳障りな音がして、ディルクの剣が手から離れて宙を舞った。ディルクが呆気に取られてそれを見つめていると、フリードが勝ち誇った顔で剣先を彼の顔に向けた。


「今はまだ、俺には力がない。しかしいずれはこの土地をしょって立つ身だ。そのために俺には有能が側近が必要だ。お前がいいんだ。お前にとってここがどれだけ居心地が悪くても、俺が当主になったときに、隣にはお前にいてほしい。いいか、これは命令だ。お前は今、俺に負けた。だから俺の言うことを聞くんだ」


ディルクが小さくうめく。


「……ご当主が、お許しになるはずがありません」

「父上や叔父上には俺が頭を下げる。今は叔父上が屋敷にいるから、味方になってもらえるだろう。だから俺についてこい!」


それは、まだ十二歳の少年の戯言に過ぎなかった。
実際、屋敷内で権力を誇っているのは、前当主夫人のリタだし、あんなことがあった以上、クレムラート邸はディルクとっては針のむしろだ。

ディルクが俯いていると、フリードは重ねるように続けた。


「……それに、お前の復讐相手はもういない。ドーレ卿は……自害なされたそうだ。本当はもっと後で教えるつもりだったんだが。どうせ未来を掛けるなら、復讐なんかより俺にかけてみろ」


ディルクは全身の力が抜けたように膝から崩れ落ちた。

一緒に死のうという母を置き去りにして選んだ生だというのに、何を目標にこの先を生きていけばいいのか分からなかった。
ならば復讐をと定めたというのに、その相手はもう死んだという。
もう生きる価値さえないであろう自分が誰かに必要とされることなど、もうないだろうと思っていた。


フリードの迷いのない碧眼と目が合ったとき、ディルクは心を決めた。

どんな困難が待ち受けていようとも、このまま落ちぶれていくだけの生活よりはマシだ。
まして、フリードの傍は、昔からずっと居心地が良い。
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