秘書と野獣
「…バカは他でもないテメーだな」
「え? なぁに?」
体をしならせて身を寄せてきた女に、フッと自然と笑みが浮かぶ。
それを好意と受け取ったのか、女はますます機嫌をよくして密着してきた。
「えっ…?」
俺の腕に絡みつく寸前だった女の手が空を切る。意表を突かれた格好の女はぽかんと立ち上がった俺を見上げている。その姿が滑稽でまた笑いたくなったが、今はそんなことすら時間の無駄に思えた。
「また来る」
「ありがとうございます」
「えっ…ちょっ、ちょっと! どういうことなのっ?!」
金を置いて歩き出した俺を女が慌てて追いかけてくる。そのまま無視しても良かったが、一度は「是」と答えた以上最低限度の義理は果たしておくべきかと思い直す。
「約束通り一緒に『飲んだ』だろ? じゃあな」
「はっ…? ちょっ…ふざけないでよっ!!」
ふざけてなんかねーよ。実際一緒に飲んだだろ?
まぁスコッチを一口だけだけどな。
尚もヒステリックに叫び続ける女をその場に残し、逸る気持ちのままに店の外へと飛び出した。その瞬間、既に日付が変わろうとしているほど夜も更けているというのに、何故か朝日が昇ってきたかのような錯覚に包まれた。
まるで目の前が一瞬にして開けて、己の進むべき道を指し示すかのように。