秘書と野獣
ウサギの戸惑いはもっともなものだろう。
仕事終わりにメシ食いに行くぞと言われついてきてみれば、辿り着いた先は小洒落たフランス料理店。しかも個室に案内されたともなれば、なんで? どうして? が頭の中を占めていくのは仕方のないことだ。
だがこうでもしなきゃこいつは絶対に嫌だと言って聞かないのだからしょうがない。事前にフレンチに行くだなんて言ってみろ。何が何でも抵抗して行かないと言い張るに決まってる。それこそ抱えるか引き摺るかしなけりゃ方法はないくらいに。
「たまにはいいだろ?」
「……」
「言っとくけど他の女の代わりとかじゃねーから。俺はお前と来たかったんだよ」
「…っ、もうっ、そういうセリフは意中の女性に言うものですよ!」
「だからお前に言ってんだろ?」
「はぁ…ほんとに何言ってるんですか…」
最初は頬を赤らめたウサギも、何故だか今度は心底呆れたように溜め息をつく。
おい、こっちは真面目に口説いてるっていうのにそれはないだろうよ。
もっとはっきりした言葉で伝えようかと思ったが、この状況に喜ぶどころか戸惑いしか感じていない今のウサギには逆効果だと判断し、とりあえず今のところは我慢しておくことにした。
手っ取り早く先に進みたいのが本音だが、結果を求めるあまりこいつの気持ちをないがしろにしてしまうことだけはしたくない。俺の変わり身に戸惑うなと言うのが無理な話だし、莉緒が独立した今、ウサギと向き合う時間はたっぷりある。
少しずつ着実に、こいつの中に俺の存在を刻み込んでいけばいい。