秘書と野獣
「し、社長…? あの、違いますからね…?」
おそるおそる視線を上げると、やっぱり顔は笑ってるけどちっとも目が笑ってない社長が私を見下ろしていて、思わずここから逃げ出したくなってしまう。
でもそんなことしたらまるでやましいことがあるって言ってるみたいじゃないか。ここは至って平常心だぞ、華!
「…何が違うんだ?」
キュッと私の手を握る手に力がこもる。
「その、平澤さんが言われてたのはもう何年も前の話で、別に」
「…ほーう? じゃあ2人で出掛けたってのは本当なわけか」
「ぐっ…! そ、それはっ…」
さすがは野獣。ちょっとでも隙を見せれば容赦なく追い詰めてくる。
それは違います! と言いたいけれど言えない。
だって、彼と2人で食事に行ったのは本当だから。でも決してやましいことがあったわけではなく、むしろお断りに行ったというのが本当のところで…。
何がどうしてそういうことになったのか今でもわからないのだけど、平澤さんは私に好意を寄せてくれていた。あまりそういうことに口出しをしない服部さんまで彼はいい青年だから前向きに考えたらどうだなんて言うくらい、本当にいい人だったのだ。
当時から私は自分の恋心が報われることはないと思っていたし、平澤さんとは一緒にいて楽しかった。何よりも服部さんがあそこまで言うのなら…と、本音を言うと、お付き合いすることを真面目に考えてもいいんじゃないかと一瞬だけ思ったことがある。
ほんとに一瞬だけど。