秘書と野獣
「ごめんなさい。野上君と結婚することはできません」
はっきりとそう告げて頭を下げた私を、彼はただ黙って見つめていた。
長い時間をかけてゆっくり顔を上げると、彼の表情は特別落胆したようにも怒っているようにも見えなかった。言うなれば、まるでこうなることをはじめからわかっていたかのように淡々と受け止めている。
___別れの前夜、私は野上君を呼び出してプロポーズの返事をしていた。
「…どうしても、ですか?」
「…うん。どうしても」
「何故です? 田舎でお見合いをするなら俺でも充分じゃないですか。自分でいうのもなんですけど、仕事だってそこそこやれてる自信もありますし、異性関係であなたを悩ませることもない。どこの誰とも知らない人よりはよっぽど優良物件だと思いますけど」
一言一句その通りだ。
むしろ彼ほどの男性にはそうそう巡り会えないだろう。
「…野上君の言う通りだよ。でもね、だからこそいい加減な気持ちで応えることはできないの」
「いい加減…ですか?」
「うん。正直びっくりしたけど、野上君が冗談であんなことを言う人じゃないってのはわかってるし、本気だってことも痛いほどに伝わってきた。そして私に対してそんな想いを持ち続けてくれたことが本当に嬉しかった」
…だけど。
「だからこそダメなの。あなたを一人の人間として尊敬していても、きっと私は心の底からあなたを男性として愛することはできないと思うから。だから…本当にごめんなさい」
あらためて深々と頭を下げた私に、野上君は長い沈黙の後ふぅーっと深く息をついた。