秘書と野獣
「…ありがとうね、野上君。心配してくれるのはありがたいし、言ってることとやってることが矛盾して申し訳ないとも思ってる。でもね、世の中には敢えて言う必要がないことだって存在すると思うの」
「…必要がない?」
オウム返しのように繰り返した野上君にコクンと頷く。
「仮に今私が社長に気持ちを伝えたところで、それは完全に私の自己満足にしか過ぎないから」
「自己満足…? それを言うなら俺だってそうじゃないですか」
「そうかもしれないけど、私と野上君は違う。野上君だって言ってたじゃない。僅かでも可能性が残ってるからこそ動いたんだって。でも私は違う。今更気持ちを伝えたところで未来は変えられない。あの社長が結婚すると宣言したんだよ? それがどれだけ本気かってことは野上君だってわかるでしょう。せっかく幸せを掴んだ社長を、勝手な自己満足のために僅かでも振り回したくないの」
「それは…」
情に厚い社長のことだ。長年面倒を見てきた私だからこそ、断るにしても相当気を使わせてしまうに違いない。そんなことはさせたくないのだ。
「意気地なしだってこともわかってる。でも、悩んで悩んで悩んで導き出したのがこの結果なの。間違いなく怒らせるだろうけど、素敵な奥さんがきっとそれごと受け止めてくれるはずだから。だから社長には自分の幸せだけを考えていてほしい」
「華さん…」
最後の方は声が震えていたかもしれない。
それでも、笑顔で言い切れたのは社長が私をここまで強くしてくれたからこそだ。
野上君は何度も口を開いては何かを言おうとしていたけれど、言うだけ無駄と悟ったのか、あるいは他の理由があるのか、やがてはぁーーーっと溜め息をついて首を振った。
「…やっぱり俺じゃダメですね。あなたを動かすのは社長にしかできない」
「えっ?」
「本当に見ていてじれったいったらない。全く…」
「あ、あのー、野上君?」
苦虫を噛み潰したような顔で何やらブツブツ言っているけれど、こっちには何のことだかさっぱりわからない。