秘書と野獣
「全く…なんでよりにもよって今日なんですか…」
ようやく少し呼吸が落ち着いたところで社長を見下ろす。
すっかり酔いつぶれた社長はやや着乱れていたけれど、それがやけに大人の色気を増幅させていて、あらぬ記憶が甦ってきそうになって慌てて視線を上げた。
「そりゃ今幸せの絶頂期ですもんねー」
浮かれたくもなりますよねと呟いた一言は完全に愚痴が入っていた。
社長が何故あんなにハイテンションだったのかなんて考えられるのは一つしかない。彼は今完全に舞い上がっているのだ。
幸せ過ぎて。
その証拠にお手洗いから戻った時にこの耳ではっきりと聞いてしまった。
『服部さん。時間はかかりましたけど、結婚することになりました』
「おぉっ、やっとか! それはおめでとう!!」
『ありがとうございます。服部さんには昔から本当に世話になってたので。どうしても直接会って報告がしたくて』
「くぅ~っ、嬉しいこと言ってくれるねぇ~! そうかそうか、やっと決断したんだなぁ」
『はい。俺ももう40が目前ですけど』
「いいさいいさ。まだまだ人生は長い。これから思う存分幸せになりなさい」
『ありがとうございます』
そう答えた社長の声は顔が見えなくてもすこぶるご機嫌なのがはっきりわかった。10年以上も一緒にいるんだもの。声だけで彼が今どんな心理状態にあるかくらいは嫌でもわかるようになってしまった。
何も聞いていない体で部屋に戻ると、そこからは服部さんもさらにハイテンションになって飲めや騒げとなって____この状況に至る。
「はぁ~~~~っ……。 ____…っ?!」
溜め息をついたその瞬間、突如ドサッと膝の上に巨体が転がってきた。
ぼんやり物思いに耽っている間、どう器用に体を反転させていたのか、もう二度としないと誓っていたはずの膝枕が完成してしまった。拒絶しようにも狭い車内では思うように動けないし、何よりも運転手さんに迷惑をかけてしまう。
本当になんで。どうして。
あんまりな仕打ちに本気で泣きたくなってきた。
未練を残したくないのに、肌に体温を残すなんて酷い。
自分が今からしようとしていることなど棚に上げて、私は窓の外をぼんやり眺めながら今日もう何度目かわからないほどの盛大な溜め息をついたのだった。