秘書と野獣
どこでもいいから座りたい。
そう思って駆け込んだデパートでふとあるものが目に入る。それはコスメカウンターでワンコインでフルメイクを施してくれるというイベントだった。
いつもの私なら気付くことすらなく素通りしていただろう。
けれどこの時の私はおかしかったのだ。
自分でもわからない何かが私を突き動かし、気が付けば目の前ではアドバイザーの女性が満面の笑みを浮かべて手を動かしていた。
どんな会話をしたのかも覚えていないけれど、しばらくして鏡に映ったのは見たこともない女の顔。
これが私なのだろうか…?
初めて見る別人の自分に、一番驚いたのは他でもない私自身だった。
女性もよほど仕上がりに満足したのか、大絶賛を受けた私は導かれるようにブランド服が並ぶ店へと入っていた。今の身なりとメイクのアンバランスさに内心驚いていた店員も、むしろそれでこそやりがいがあると思ったのか、ここでも私は熱心に磨かれていった。
そうしていつもの私を知る人が見たら絶対に気付かないほど別人へと変貌を遂げた私は、どうせならいつもはしないことをしてみようと思い立った。
長い人生、たった一度くらい冒険したっていいじゃない。
そんな高揚感に包まれながら、私は吸い込まれるようにしてとあるバーへと足を踏み入れた。
オシャレなジャズが流れる店内はムーディな雰囲気が漂い、いかにも洗練された大人のための空間といった感じだった。一瞬本当に自分が入って許されるのだろうかと怯んだけれど、今の私は私であって私じゃない。そう言い聞かせ、自分は出来る女なのだと、女優になった気分でその雰囲気を思う存分楽しむことにした。