秘書と野獣


「………どうかしたの?」

終電が迫ったこともありようやくバーを後にしたものの、途中で突然足を止めてしまった私を社長が不思議そうに振り返る。
俯いたまま何も答えようとしない私を、彼はしばらく無言で見ていた。

やがてカツンと至近距離で響いた靴音にハッと顔を上げる。
と、いつの間にかすぐ目の前に立っていた彼が何かを瞳の奥に燻らせながら、じっと私を見つめた後こう言った。


「……帰りたくない?」


彼の言いたいことはこんな私にもわかった。
大人の男と女が帰らずにすることなんて一つしかない。

彼が私ではない女性と夜を過ごそうとしていることに身を切り裂かれそうに苦しくなりながらも、私であって私でなかったこの日の私は、ただの女として、たった一度だけでも彼に受け入れてもらえるのならばという思いの方が強くなってしまっていた。



「……帰りたくない」



ポツリと微かに呟かれた言葉をしかと受け取ると、社長は私の右手を自分の左手に絡めて何も言わずに歩き出した。



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