秘書と野獣
「な、んで……なんで、こんなことっ…!」
夜明け前の薄暗い中、泥のように眠る彼を残したまま、私は逃げるようにしてホテルを後にした。
決して「宇佐美華」としての痕跡が残らないように、細心の注意を払いながら。
あれだけ快楽に溺れたはずなのに、一歩進むだけでも体中が悲鳴を上げる。
引き摺るようにして自宅へと戻った私を待ち受けていたのは、更なる残酷な現実。
鏡に移る自分を見て愕然とする。
体の至る所に残された所有の証。それらをつけたのは他でもない愛する男。
けれど、決して私への独占欲などではない。
彼が求めたのは、愛したのは、もうどこにも存在しない「ナナ」に過ぎない。
たった一度でいいと思ったのはこの私。
求められているのは自分じゃないとしても、それでもいいから女として愛されたいと願ったのも私。
_____それなのに。
身を切り裂かれるようなこの痛みはなんだというの。
愛する男を騙してまで得たこの証に一体なんの意味があるというのだろう。
ほんの一時でも満たされたはずの体は、心は、凍えるほどにぽっかりと大きな穴が開いてしまった。
どんな薬でも治すことの出来ない、深い深い傷跡となって。
「ふ、ふふ………ばっかじゃないの…」
涙が止まらない。
好きな男に愛された瞬間、私はあの人を失ってしまったのだ。