生き抜く価値
生きることが辛いあなたへ
こうして私が書いているということはしぶとくも、私はまだ生きている、ということだ。
私は今月の11日で32歳になる。
32歳になったからといって、別段何も変わらない。めでたくも何もない。ただ単に1歳分老けてしまうというだけの話である。
一緒に誕生日を祝ってくれるような彼女もいない。友人も少ない。
子供の頃に"てんかん"を患ってしまった私はその時、死にかけたらしい。かなり危険な状態だった、という話を担当医から聞いたことがある。
それが原因かどうかは確証はないが、それ以降、私は後遺症のようにどもるようになった。吃音症きつおんしょうだ。
小学生の頃に比べればたいぶ良くはなっているが、それでも今だに仕事、プライベート関係なくどもる。
そんな私は現在"接客業"をしている。21歳の頃からずっと接客業をしてきた。
人と話すこと自体は好きだった。でも、そこでも吃音がついてまわった。
正直辛いこともあった。接客業を一時離れ、全然違う職種に就いたこともあった。
それでも、私はやはり接客業が忘れられず、また返り咲いた。
仕事自体は好きでも嫌いでもない。でも、お客さんと話すのは楽しいとは感じる。
だが、私はどうしても自分に自信が持てずにいた。これまでも、今でもそうだ。
情けないことに出勤前なんかは今だに緊張で毎日吐きそうになっている。
そして、仕事が終わり、合間の時間にたまにこうして小説やエッセイなんかを書く、という日々を過ごしていた。
今、私が所属している創作団体の現代表である鈴木氏から声をかけられたのはそんな折だった。
その頃の私はというと、うつ病を発症してしまい、かなり精神的に落ち込んでいた時期だった。
毎日死ぬことだけを考えていた。それでも実際に死のうとすると怖くて死ぬことができなかった。
その時の私には人生が生き地獄に思えた。
しかし、鈴木氏との出会いで私の人生は180度変わった。
様々な人との繋がりが生まれ、そこからこれまで1人では創り得なかった作品を創り出すこともできるようになった。
生まれて初めて明確に"生き甲斐"というものを見つけ、体感することができた。
私にとって鈴木氏は命の恩人といっても過言ではない、と私自身は勝手に思っている。
もし、あの時鈴木氏からの誘いを断っていたり、鈴木氏からの誘いがなければ今の私は存在しなかっただろう。
こんな私を誘ってくれた鈴木氏には感謝してもしきれない。
ようやく仕事の面でも安定しそうな時、私の身体は悲鳴を上げた。
ある日の朝の出来事である。
いつものようにスーツに着替えて出勤しようとしていた時、突然過呼吸になり、そのまま私は意識を失ってしまった。
気が付くと母が私の左頬ほほを冷たい手で叩きながら、もう片方の手で私の手をしっかりと握っていた。
一瞬、何が起こったか分からず、私は混乱した。
母から
「今、救急車呼ぼうと思ってたとこやったんやで」
と言われ、ようやく状況を把握することができた。ここ1週間の話だ。
子供の頃にてんかんで死にかけている分、私は不安を感じていた。
かかりつけの個人病院で診てもらったところ、市内にある大きな病院での精密検査を薦められた。紹介状も書いてもらった。
仕事は休まざるを得なくなってしまっていた。身体がどうにもいうことをきかないのだ。車を運転することすらも危うい状態だった。
今は少し落ち着いているのでこうして書くことができる。しかし、いつまた発作が起こるか分からない。そう考えると怖くて怖くて仕方がない。
もし、車を運転している時に発作でも起ころうもんなら、最悪そのまま死んでしまうかもしれない。
そう考えると恐ろしくてたまらないのだ。
まったくもって自分勝手な話だが、私にはやりたいことがまだまだある。叶えたい夢もできた。
まず1つは、"結婚したい"ということだが、これについて今回は置いておくとする。
もう1つは、私が所属している創作団体を今以上に大きくし、誰もが知り、入りたいと思えるような創作団体にすることだ。
色んなことが本格的に始動し、本当にこれからなのだ。今ここで倒れるわけにはいかない。
私にとってこの創作団体は単なる"趣味の延長"ではなく、自分の中でもっと大きな存在へとなっていた。
だから、このまま何もできずにバッドエンドなんてのはまっぴらごめんだ。
この先、私は後何十年生きるか分からない。
1年先も分からないのに何十年も先のことなんて分かるはずがない。
しかし、私は時々思うことがある。
――果たして私は人生の最後の瞬間に"いい人生だった"と胸を張って、笑顔で言えることができるだろうか
と。
今の私には正直その自信はない。
だが、過去を変えることはできないが未来は頑張り次第でいくらでも変えることができると私は信じている。
これから死にたくなるほど辛いこともあるかもしれない。
悲しい別れもあるかもしれない。
それでも、私は這はいつくばってでも、カッコ悪くても生き抜いてやろう、と今では少しだけ思うことができる。
それだけの価値が自分の人生の終着点には在ると、私は信じたい。
生き抜く価値が人生には在る。
そう思いたい。
辛いだけが人生じゃない。悲しいだけが人生じゃない。
そんな人生なんてまっぴらごめんだ。
私は今月の11日で32歳になる。
32歳になったからといって、別段何も変わらない。めでたくも何もない。ただ単に1歳分老けてしまうというだけの話である。
一緒に誕生日を祝ってくれるような彼女もいない。友人も少ない。
子供の頃に"てんかん"を患ってしまった私はその時、死にかけたらしい。かなり危険な状態だった、という話を担当医から聞いたことがある。
それが原因かどうかは確証はないが、それ以降、私は後遺症のようにどもるようになった。吃音症きつおんしょうだ。
小学生の頃に比べればたいぶ良くはなっているが、それでも今だに仕事、プライベート関係なくどもる。
そんな私は現在"接客業"をしている。21歳の頃からずっと接客業をしてきた。
人と話すこと自体は好きだった。でも、そこでも吃音がついてまわった。
正直辛いこともあった。接客業を一時離れ、全然違う職種に就いたこともあった。
それでも、私はやはり接客業が忘れられず、また返り咲いた。
仕事自体は好きでも嫌いでもない。でも、お客さんと話すのは楽しいとは感じる。
だが、私はどうしても自分に自信が持てずにいた。これまでも、今でもそうだ。
情けないことに出勤前なんかは今だに緊張で毎日吐きそうになっている。
そして、仕事が終わり、合間の時間にたまにこうして小説やエッセイなんかを書く、という日々を過ごしていた。
今、私が所属している創作団体の現代表である鈴木氏から声をかけられたのはそんな折だった。
その頃の私はというと、うつ病を発症してしまい、かなり精神的に落ち込んでいた時期だった。
毎日死ぬことだけを考えていた。それでも実際に死のうとすると怖くて死ぬことができなかった。
その時の私には人生が生き地獄に思えた。
しかし、鈴木氏との出会いで私の人生は180度変わった。
様々な人との繋がりが生まれ、そこからこれまで1人では創り得なかった作品を創り出すこともできるようになった。
生まれて初めて明確に"生き甲斐"というものを見つけ、体感することができた。
私にとって鈴木氏は命の恩人といっても過言ではない、と私自身は勝手に思っている。
もし、あの時鈴木氏からの誘いを断っていたり、鈴木氏からの誘いがなければ今の私は存在しなかっただろう。
こんな私を誘ってくれた鈴木氏には感謝してもしきれない。
ようやく仕事の面でも安定しそうな時、私の身体は悲鳴を上げた。
ある日の朝の出来事である。
いつものようにスーツに着替えて出勤しようとしていた時、突然過呼吸になり、そのまま私は意識を失ってしまった。
気が付くと母が私の左頬ほほを冷たい手で叩きながら、もう片方の手で私の手をしっかりと握っていた。
一瞬、何が起こったか分からず、私は混乱した。
母から
「今、救急車呼ぼうと思ってたとこやったんやで」
と言われ、ようやく状況を把握することができた。ここ1週間の話だ。
子供の頃にてんかんで死にかけている分、私は不安を感じていた。
かかりつけの個人病院で診てもらったところ、市内にある大きな病院での精密検査を薦められた。紹介状も書いてもらった。
仕事は休まざるを得なくなってしまっていた。身体がどうにもいうことをきかないのだ。車を運転することすらも危うい状態だった。
今は少し落ち着いているのでこうして書くことができる。しかし、いつまた発作が起こるか分からない。そう考えると怖くて怖くて仕方がない。
もし、車を運転している時に発作でも起ころうもんなら、最悪そのまま死んでしまうかもしれない。
そう考えると恐ろしくてたまらないのだ。
まったくもって自分勝手な話だが、私にはやりたいことがまだまだある。叶えたい夢もできた。
まず1つは、"結婚したい"ということだが、これについて今回は置いておくとする。
もう1つは、私が所属している創作団体を今以上に大きくし、誰もが知り、入りたいと思えるような創作団体にすることだ。
色んなことが本格的に始動し、本当にこれからなのだ。今ここで倒れるわけにはいかない。
私にとってこの創作団体は単なる"趣味の延長"ではなく、自分の中でもっと大きな存在へとなっていた。
だから、このまま何もできずにバッドエンドなんてのはまっぴらごめんだ。
この先、私は後何十年生きるか分からない。
1年先も分からないのに何十年も先のことなんて分かるはずがない。
しかし、私は時々思うことがある。
――果たして私は人生の最後の瞬間に"いい人生だった"と胸を張って、笑顔で言えることができるだろうか
と。
今の私には正直その自信はない。
だが、過去を変えることはできないが未来は頑張り次第でいくらでも変えることができると私は信じている。
これから死にたくなるほど辛いこともあるかもしれない。
悲しい別れもあるかもしれない。
それでも、私は這はいつくばってでも、カッコ悪くても生き抜いてやろう、と今では少しだけ思うことができる。
それだけの価値が自分の人生の終着点には在ると、私は信じたい。
生き抜く価値が人生には在る。
そう思いたい。
辛いだけが人生じゃない。悲しいだけが人生じゃない。
そんな人生なんてまっぴらごめんだ。