伯爵夫妻の甘い秘めごと 政略結婚ですが、猫かわいがりされてます
ドロシアが撫でようと手を伸ばせすと、猫はすっと逃げていく。せっかく近寄ってきてくれたのに、と今度はできるだけ視線が合うようにしゃがんで、手を伸ばして匂いを嗅がせた。
最初は興味ありそうに匂いを嗅いでいたが、突然尻尾をピンと立てると、背中を向けて走って行ってしまった。
「あっ、待って」
ドロシアが追いかけようとした時、「おや、お目覚めかな」と廊下から少しかすれたようなテノールが響いた。
「入っても?」
「は、はいっ」
白猫が出ていった扉に、人影が近づいてくる。入って来たのはチェスターではなく、もっと年上の男性だった。
ダークブラウンの髪、すっと通った鼻、穏やかそうな赤みがかった薄茶の瞳。目尻に少しだけしわが見える。
白シャツにベストを羽織り、上着さえ羽織れば外出できそうなほどしっかりした服装だった。
「もしかして、……ノーベリー伯爵ですか?」
「そうだよ。ドロシア=メルヴィル男爵令嬢」
「す、すみません。私ったら寝ちゃって」
「いや。遠いからね。疲れたんだろう」
無作法を怒るわけでもない。偏屈だと聞いていたのでこれは意外だった。
慌ててドレスのしわを伸ばして、きちんと礼をする。
「改めまして、ドロシア=メルヴィルです。このたびはこんな失礼をしてしまって申し訳ありません。こんな私を見初めてくださりありがとうございます」
最初だし、と謙遜して言ってみるとノーベリー伯爵は失礼にもうんうんと頷いた。
「いやあ、まさか赤毛の君がくるとは思わなかった。うん。行き遅れって聞いていたから、まさかとは思ったんだけどね?」