伯爵夫妻の甘い秘めごと 政略結婚ですが、猫かわいがりされてます
「母は僕を自分の使い魔の猫に託し、逃がそうとした。他の使用人たちもね。けれど屋敷から抜け出す寸前で僕は捕まり、猫は足元で必死に鳴いた。それを聞きつけて母がやってきたんだ。軍人は母の目の前で、僕の背中を刺した。半狂乱になった母が男に掴みかかり、もがいているうちに僕の体からは剣がぬけた。血を噴き出しながら床の上に投げ出されたんだ。どんどん体が冷たくなっていって、必死に顔を舐めてくれた猫の舌が温かかったのをよく覚えている。やがて父も捕まり、まだ意識のある僕の前で殺された。その時、まるで時が止まったかのように人々が動きを止めた。……母が何かしたのだと思う。自分の命と引き換えに、何らかの魔法を使ったんだ。次の瞬間、母が短剣を自ら胸に差し、倒れ落ちるのを見た」
オーガストは瞳を翳らせたまま、ひと呼吸を置いた。
「父が死に、母も倒れ、僕自身も風前の灯火だった。こぼれていく涙と一緒に、自分の命が体から抜けていくのを悟ったとき、声が聞こえたんだ。正確には頭に響いたのかな。あの時は朦朧としていたから分からない。ただ、僕には母親の使い魔が話しているように聞こえたんだ。彼女……メス猫だったんだけど、『坊ちゃん、ご主人が死んだ今、自分に未練はありません。力のある猫は九生を生きます。私は今まで五回生きてきました。残りの四生は坊ちゃんに差しあげます』ってね。そうしたら自分の体が繭のような何かに包まれた感覚がした。あの時の不思議な感覚はあれ以来ずっと消えない」
「そ、……それでどうなったんですか?」
「結果として僕は死ななかった。目覚めた時、介抱してくれたのはあろうことか、僕を刺した軍人だったんだ」