その笑顔が見たい
いつもと変わらない。
別れ話を切り出したはずだったのに、理解していないのか?
俺を見つけて嬉しそうに小走りに向かってくる。
「お待たせしました」
「走らなくていいよ」
「はい!」
目の前に腰を下ろした紗江はいつもと少し印象が違って見える。
それは可愛らしい表情の中に見え隠れする危なげな視線だった。
「何飲む?」
「いえ、すぐに私の家に行くでしょう?」
「…永井さん、この間の話、聞いてましたか?」
「ええ、しばらく会えないって話ですよね。もう一週間経ったから連絡をくれたんですよね」
どういう思考回路になっているんだ。
「しばらく会えないという話ではなく、もう会えないと言ったつもりです。それなのにどうして結婚話が持ち上がってるんですか?」
「あ、誰に聞いたんですかー? ふふふ、内緒ねって言ったのに」
ここまで来ると不気味になる。
冷静さを失わずに、告げるべきことはきちんと伝えた。
「永井さん、申し訳ないけれど、もう君とはお付き合いできません。今日で会うのは最後だと思います。どうか受け入れていただけませんか?」
紗江はまた「ふふふ」と不気味な笑みを浮かべて「わかりました」と答えた。
本当にわかったのか定かではないが、早く紗江から離れたい気持ちと、出張後で疲れがピークだった俺はここで引き上げることにした。
「それではお元気で」
紗江を残し、足早に店を出る。
正直、紗江が何を考えているかさっぱりわからず怖かった。
緊張していた体から一気に力が抜ける。
疲労感がいっぺんにやって来てどうしようもなく葉月に会いたくなった。