君と会う時は
 (・・・・どこかに行きたい)

 美花は死んだ魚のような目をして、スマフォの画面を押す人差し指を動かした。

 大学卒業してから夢中で走ってきたが、遂に彼女は「現実逃避」というワードを思い出したのだ。

 どうしようもない問題や、厳しい現実を突きつけられた時、人は救いを求めたがる。

 それが人間の弱さである。誰しもが持っているのに、認めたくない特性の一つだ。

 美花は目を背けていた自分の弱さに、ここに来て根負けしたのだ。

 逃げたい。遠くに行きたい。少しの間、つらさを忘れていたい。

 彼女の心が呼び寄せたのは、旅行サイトのHP。

 ずっと行きたいと思っていて行けなかった海外旅行、今年は思い切ってしてみようか。

 いや、でも行楽シーズンはどこもツアーが高すぎる。

 じゃあ国内旅行は?・・・・今、これと言って行きたい場所が思いつかない。おまけにどこも混雑している。

 自分の趣味に合う場所で検索してみようか。あれ?そういえば、自分の趣味って何だっけ?

 趣味すらも忘れてしまったのか、自分は。

 これじゃ本当に空っぽ人間じゃないか。

 生徒たちのことは分かるけれど、自分自身のことが思い出せない。

 仕事にばかり生きてきた証拠だ。

 日を追うごとに、大事な何かが心から抜け落ちていく。

 年をとるって、周りに合わせて自分を殺すことなのか。

 であれば、自分は今、孤独なのかもしれない。

 家庭持ちの友だちとはドンドン疎遠になり、残った友だちは、傷をなめ合うような耳ざわりのいい言葉ばかりかけてくる。

 彼氏はおらず、両親とは最近気まずく、あまり実家には寄りついていない。

 そうだ。今、自分の心は乾いている。ただ必死に働いていた時期は過ぎ、見失っていた心の指針を取り戻したいと、どこかでずっと願っていた。 

 では、自分自身って何なのか。私は何がしたくて、何が好きで、どんな人を愛したいのだろう。

 分からないまま30歳を迎えるのか。

 頼む、誰か教えてください。



 美花の指が、画面下に出ていた広告に触れた。
  

 
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