プルースト
I. spring
匂い、とはなんて曖昧なものだろうと思う。
生活は匂いで溢れている。
食べ物もそうだし、お風呂もそうだ。
よく、男の子はシャンプーの匂いがすきだなんて話も耳にする。
お母さんにはお母さんの匂いがあって
お父さんにはお父さんの匂いがある。
家の外にだって匂いはたくさんだ。
街を歩けば美味しそうなパンの匂いだってする。
街角の花屋の瑞々しい生花の香りも。
雨が降りそうな土の湿った匂いや
春の陽気さを形容できそうな柔らかな匂いもする。
それらはふと横を通りかかったり、意識を向けた時にだけ私の鼻腔を擽って
そのあとはシャボン玉のように弾けとぶものだと、私はずっと思っていた。
匂いなんて、曖昧で頼りないものだと、そう思っていた。
「せんぱい」
私の呼び声に、ん?とこちらを向いて
私の姿を見つけるとふにゃりと笑って小さく片手を上げる。
「そこの席、いいですか」
日に焼けて温かい木目の先輩の前の椅子。
そっと指差して小声で尋ねる。
語尾が少し震えてしまったのに、先輩が気づいていませんように。
「もちろんいいよ」
匂いは曖昧だと思う。
特に、人の匂いは。
図書館で会う先輩は、いつでも優しいラベンダーの匂いがする。
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