隣町銀河
いち
“左記子ちゃん”は、かわいい。
自分自身で、他の少女たちより肌が白いことを知っていた。左記子の腕は他の少女たちより華奢だった。髪は細く垂れる蜂蜜のように滑らかで、おしゃれ染めの必要がない程度には、淡かった。
左記子の母は左記子のことを気に入っていた。
少女のような母親だった。実際、歳も若かったのだ。左記子ちゃん、左記子ちゃん、と彼女は猫の子でも呼ぶように左記子を呼ぶ。
「左記子ちゃんはかわいいから」
それが彼女の口癖で、たいがい、左記子ちゃんはかわいいから大丈夫よ、とか左記子ちゃんはかわいいから当然だよ、などと続けるのだった。
左記子は、かわいい。
気がつくと喉のあたりを爪を立ててつねっていた。
“かわいい左記子ちゃん”は勿論、学校のクラスでもそういうポジションに収まっていなければならなかった。
学校では、かわいさに加えて“優しさ”や“人当たりのよさ”もオプションとして加えねばならない。さもなければ妬みの対象にされてしまう。
肌の白さや髪色の淡さも相まって、沢山できた友人たちから、『ふんわりとした天然な子』と評されることが多かった。それで、成績のレベルにまで気を遣わなければならなかった。良すぎないように、悪すぎないように。
友人たちが悪いのではない。左記子自身が“左記子ちゃん”をそう形作った。“優しくてかわいい左記子ちゃん”を、プロデュースした。
不思議なもので、そうすると段々に自分でもそれが本当の自分だと苦もなく思えるようになる。その自分でいる時がむしろ心地よく、安心する。左記子は本当の自分が何を好み、何が得意でどんな感性か、すっかり判らなくなったままでいた。
一方で、常に奇妙な恐ろしさが付き纏った。母からの寵愛。クラスメートからの好意。それらが全て、左記子が形作ったものに由来していた。だから、もし左記子から美しさが除かれたなら。
いや。
『左記子がほんとうは美しくないと気づかれたなら』。
左記子は今日の今日まで、自分がかわいいと思えたためしがない。“優しくてかわいい左記子ちゃん”は、左記子本人にだけ、優しくもかわいくもない。自分以外が魔法にでも掛かっているのではないのかと、事あるごとに訝しんでいた。その魔法が解けて、左記子の正体がかわいくも優しくもないと暴かれるとき、左記子はどうなるのだろう。
だから、縋った。彼女はいつも厳しく意地悪だったけれど。
おかしな宗教のように、本当は実在しない“優しくてかわいい左記子ちゃん”を、母もクラスメートの少女たちも、左記子自身も崇め奉っている。
左記子が美しさを失ったとき——それは人生が終わるときだと思った。
梅渓(うめたに)ハツ、というクラスメートがいた。
飾り気のないショートカットでいつも何やら難解な本を読んでいた。カタカナ書きの“ハツ”という名が古すぎて逆に新鮮だった。彼女は“左記子ちゃん”のかわいさになびきもしないで一定の距離を保っている珍しいタイプの少女だった。友人の一人さえ、持っているのか怪しかった。
左記子とは真逆。
全くの真逆。
いつも大勢の友人に囲まれて、一瞬たりとも一人きりになることのない左記子とは、自立性も円熟性も余裕も違う。彼女にだけは左記子の虚構が見透かされているような気がして、怖くて仕方がなかった。けれど矛盾して、ことある毎に近づきたいと密かに願った。
左記子の周りに集まってくる友人たちは実のところ、友人という形を取った“左記子ちゃん教”の信者仲間に過ぎなかった。そもそも左記子が左記子を偽っているのだから、本当の友人になどなれる訳がない。本音を話そうとも、自分の本音がどこにあるのか知れない。
自分を偽る心地よさと自分を偽る恐れと。ない交ぜになった気持ちのまま、けれど何事もなく学生時間は順調に経過した。
母の調子がいよいよおかしくなりだしたのは女子校卒業間近の早春、左記子が十八歳になってちょうど一月経った辺りの頃だった。
元々おかしな母ではあった。今の左記子と同じ十八歳で左記子を出産した母は、内面が異常なほど幼かった。少女のような人、なのではない。少女そのものであった。
だから実際左記子を育てたのは祖母だと言って誤謬(ごびゅう)は無いし、どちらかというと左記子にとって母とは勝手気ままな親戚のお姉さん、といった立ち位置だった。いつもふらふらと遊び歩いて、気が向いたら帰ってくる。母にとって左記子は本当に『お人形』そのものだったのかも知れない。母が左記子に抱いた感情は母性による愛ではない。薄々気づいてはいた。けれど、それは認めてはいけないことのような気がした。なんとなく、認めたら修復不可能なほどに壊れてしまう、そんな危機感があった。そう、壊れてしまう。
母のように。
母はいつもの少女のような危うさで、あっけなく壊れた。彼女の心のうちは判らない。理由も、動機も知らないし、あるかどうかすら判らない。
ただ事実として彼女は自動車にはねられて亡くなった。
これだけは言える。
まるで当てにならない人だった。
左記子の内でカラカラ鳴る乾いたものの音が耳障りだった。
母の死への対応で日と日は慌ただしく過ぎてゆき、そのまま押し出されるような感覚で卒業となった。
かねてより、進路は敢えて決めていなかった。先生方はだいぶん心配していたけれど。
もとより高等学校を卒業したら真っ先にこの町を出ようと思っていた。そう思っていた折、母が亡くなったのでこの町と左記子を繋ぐ紐は完全に解けた。
祖母は母が最期にこしらえた財産を左記子に全て渡して、好きに生きなさい、と告げた。
力強い言葉だった。
好きに生きなさい。
そして、なんとなく悟った。
祖母は若かった母にも今の左記子に対するのと同じ言葉を告げたのだろうと。
自分自身で、他の少女たちより肌が白いことを知っていた。左記子の腕は他の少女たちより華奢だった。髪は細く垂れる蜂蜜のように滑らかで、おしゃれ染めの必要がない程度には、淡かった。
左記子の母は左記子のことを気に入っていた。
少女のような母親だった。実際、歳も若かったのだ。左記子ちゃん、左記子ちゃん、と彼女は猫の子でも呼ぶように左記子を呼ぶ。
「左記子ちゃんはかわいいから」
それが彼女の口癖で、たいがい、左記子ちゃんはかわいいから大丈夫よ、とか左記子ちゃんはかわいいから当然だよ、などと続けるのだった。
左記子は、かわいい。
気がつくと喉のあたりを爪を立ててつねっていた。
“かわいい左記子ちゃん”は勿論、学校のクラスでもそういうポジションに収まっていなければならなかった。
学校では、かわいさに加えて“優しさ”や“人当たりのよさ”もオプションとして加えねばならない。さもなければ妬みの対象にされてしまう。
肌の白さや髪色の淡さも相まって、沢山できた友人たちから、『ふんわりとした天然な子』と評されることが多かった。それで、成績のレベルにまで気を遣わなければならなかった。良すぎないように、悪すぎないように。
友人たちが悪いのではない。左記子自身が“左記子ちゃん”をそう形作った。“優しくてかわいい左記子ちゃん”を、プロデュースした。
不思議なもので、そうすると段々に自分でもそれが本当の自分だと苦もなく思えるようになる。その自分でいる時がむしろ心地よく、安心する。左記子は本当の自分が何を好み、何が得意でどんな感性か、すっかり判らなくなったままでいた。
一方で、常に奇妙な恐ろしさが付き纏った。母からの寵愛。クラスメートからの好意。それらが全て、左記子が形作ったものに由来していた。だから、もし左記子から美しさが除かれたなら。
いや。
『左記子がほんとうは美しくないと気づかれたなら』。
左記子は今日の今日まで、自分がかわいいと思えたためしがない。“優しくてかわいい左記子ちゃん”は、左記子本人にだけ、優しくもかわいくもない。自分以外が魔法にでも掛かっているのではないのかと、事あるごとに訝しんでいた。その魔法が解けて、左記子の正体がかわいくも優しくもないと暴かれるとき、左記子はどうなるのだろう。
だから、縋った。彼女はいつも厳しく意地悪だったけれど。
おかしな宗教のように、本当は実在しない“優しくてかわいい左記子ちゃん”を、母もクラスメートの少女たちも、左記子自身も崇め奉っている。
左記子が美しさを失ったとき——それは人生が終わるときだと思った。
梅渓(うめたに)ハツ、というクラスメートがいた。
飾り気のないショートカットでいつも何やら難解な本を読んでいた。カタカナ書きの“ハツ”という名が古すぎて逆に新鮮だった。彼女は“左記子ちゃん”のかわいさになびきもしないで一定の距離を保っている珍しいタイプの少女だった。友人の一人さえ、持っているのか怪しかった。
左記子とは真逆。
全くの真逆。
いつも大勢の友人に囲まれて、一瞬たりとも一人きりになることのない左記子とは、自立性も円熟性も余裕も違う。彼女にだけは左記子の虚構が見透かされているような気がして、怖くて仕方がなかった。けれど矛盾して、ことある毎に近づきたいと密かに願った。
左記子の周りに集まってくる友人たちは実のところ、友人という形を取った“左記子ちゃん教”の信者仲間に過ぎなかった。そもそも左記子が左記子を偽っているのだから、本当の友人になどなれる訳がない。本音を話そうとも、自分の本音がどこにあるのか知れない。
自分を偽る心地よさと自分を偽る恐れと。ない交ぜになった気持ちのまま、けれど何事もなく学生時間は順調に経過した。
母の調子がいよいよおかしくなりだしたのは女子校卒業間近の早春、左記子が十八歳になってちょうど一月経った辺りの頃だった。
元々おかしな母ではあった。今の左記子と同じ十八歳で左記子を出産した母は、内面が異常なほど幼かった。少女のような人、なのではない。少女そのものであった。
だから実際左記子を育てたのは祖母だと言って誤謬(ごびゅう)は無いし、どちらかというと左記子にとって母とは勝手気ままな親戚のお姉さん、といった立ち位置だった。いつもふらふらと遊び歩いて、気が向いたら帰ってくる。母にとって左記子は本当に『お人形』そのものだったのかも知れない。母が左記子に抱いた感情は母性による愛ではない。薄々気づいてはいた。けれど、それは認めてはいけないことのような気がした。なんとなく、認めたら修復不可能なほどに壊れてしまう、そんな危機感があった。そう、壊れてしまう。
母のように。
母はいつもの少女のような危うさで、あっけなく壊れた。彼女の心のうちは判らない。理由も、動機も知らないし、あるかどうかすら判らない。
ただ事実として彼女は自動車にはねられて亡くなった。
これだけは言える。
まるで当てにならない人だった。
左記子の内でカラカラ鳴る乾いたものの音が耳障りだった。
母の死への対応で日と日は慌ただしく過ぎてゆき、そのまま押し出されるような感覚で卒業となった。
かねてより、進路は敢えて決めていなかった。先生方はだいぶん心配していたけれど。
もとより高等学校を卒業したら真っ先にこの町を出ようと思っていた。そう思っていた折、母が亡くなったのでこの町と左記子を繋ぐ紐は完全に解けた。
祖母は母が最期にこしらえた財産を左記子に全て渡して、好きに生きなさい、と告げた。
力強い言葉だった。
好きに生きなさい。
そして、なんとなく悟った。
祖母は若かった母にも今の左記子に対するのと同じ言葉を告げたのだろうと。