冬の恋、夏の愛

電話の相手を気にしながら、朝を迎えた。なんとなく、気まずい空気が流れていた。

「今日、会社の飲み会やから。ごめん」

「……本当に?」

「ホンマやって! この店で、十九時から二時間。嘘やと思うなら、来て?」

つい疑って聞くと、さすがの莉乃ちゃんも少しイラつきながら、名刺を差し出した。黙ってそれを受け取ると、居酒屋の名前と場所が書いてあった。

「ごちそうさま! 私、今日は早く出るから」

そう言って、席を立つ莉乃ちゃんについていく。そっと様子を見ていると、鏡の前でゴシゴシと、必要以上に歯を強く磨き始めた。

「ごめん、ごめん、すぐ終わるから」

しばらくすると、オレの姿に気づいた。歯磨き粉を口にいっぱいためたまま、なんとか話すと、すぐに水で口をすすいだ。

「どうぞ」

タオルで口を拭きながら、洗面所をオレに譲った。その、何気ない動きをじっとみつめた。

「ん? どうしたん?」

もし、莉乃ちゃんが加茂さんに興味があるのなら、こんな平穏な朝も消えてなくなる……。そう思うと怖くなって、莉乃ちゃんを自分の胸に引き寄せていた。

「寿彦さん?」

加茂さんが相手だなんて、勝ち目がない。オレには、莉乃ちゃんしかいないんだよ……。莉乃ちゃんの温もりを感じながら、強く抱きしめた。

しばらくすると、少し落ち着いた。莉乃ちゃんから離れると、歯を磨き始めた。

「ほな、私、用意したら出かけるから」

莉乃ちゃんはそう言うと、洗面所から離れた。その背中をそっと見守る。次の朝も、また次の朝も、莉乃ちゃんがいてくれることを願って。


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