メープル
 さくらは覚えていないのだけれども、この日、実はちょっと奇妙なことが起こっていたのだった。いつもは、ある三叉路のところで右に折れて、坂を上り、帰路につくのだが、その日に限ってメープルはさくらのいうことを聞かなかった。信号のない交差点で、反対車線を遠くから軽トラックが近づいてきていた。そのトラックが通り過ぎるのを待って、横断歩道を渡って、反対側に渡ろうとするさくらを断固、拒否して、まっすぐに行こうとする。さくらは、父に教わった通り、「犬に行き先を決めさせてはいけない」と知っていたから、断固として、メープルに進路を譲らなかった。数秒、にらみ合いのようなひっぱりあいのような状態が続いたが、メープルはある瞬間、意を決したように横断歩道側に飛び出し、さくらを引きずるように反対側に渡ろうとした。その刹那、ビーという大きなクラクションの音と、そのすぐ後に大きな衝突音がして、バイクと軽トラックがその交差点で衝突した。その軽トラックの運転手は海の方を脇見していて、三叉路を坂の上からきて右折しようとしたバイクに気が付かなかったらしい。軽トラックは、さくらの左をかすめて海側の道路端のコンクリート壁に激突した。衝突されたバイクは、そのまま倒れて滑り出し、右側のメープルを巻き添えにしたのだった。さくらは、間一髪で全くの無傷であったが、メープルはそのときの怪我がもとで、すぐに死んでしまったのだった。犬は単にいつもの遊びの延長のつもりだったのかもしれない。追いかけっこや綱引きみたいなこと自体は、よくやっていたのだ。でも、その瞬間、さくらにはこの出来事が単なる偶然だとは到底思えなかった。

 さくらは、泣きじゃくりながら、メープルにずっと、「ごめんね、ごめんね」と謝り続けていたらしい。「らしい」というのは、そのあたりの記憶が、さくらにはまったくなくなってしまっているのだ。大きな犬がうちにいた記憶はあるし、メープルという名であったこと、とても仲良くしていたことは覚えているのだが、母に聞いても、さくらが一人でメープルを連れて散歩に出た日、首輪を引きちぎってどこかに逃げてしまったのだ、と言って、それ以上のことは話してくれなかった。父が帰れない日にわがままを言って、自分一人で散歩に行ったのがいけなかったのかな、という後悔もあり、さくらはそれ以上、しつこくは聞けなかった。横断歩道の真ん中で呆然と立ち尽くすさくらと瀕死のメープルを連れて、自宅まで連れ帰ってくれたのは、先ほど挨拶してくれた近所のおばさんだった。母は仰天して、とにかく、メープルを行きつけの動物病院に連れて行ったが、医師にもなすすべがなかった。さくらは、病院のベッドに横たわって、首だけ少し、さくらのほうに向けて、安心したような顔をしているメープルの首に縋り付いて「ごめんね、ごめんね」と泣きじゃくった。そしてすべてのことが終わった日の次の日、さくらはその事故やメープルの死の記憶をなくしていた。自分が何か間違ったことをしてしまったので、メープルは彼女の元を去り、二度と帰ってこなかったのだという記憶に取って代わられてしまっていた。

 さくらは、その後、だんだんと表面上は落ち着いてきたが、周りになんとなく違和感を感じさせるようになった。うまく言えないが、「半分」になってしまったような印象を近しい人に与えた。初対面の人には、冷静で落ち着いたお子さんですね、と言われるようになった。父は、思い出すとつらいだろうと思ったのだろうか、二度と犬は飼わなかった。代わりに、金魚を飼ったり、観葉植物を世話させたりした。さくらは、植物になんとなく親しみを感じて、ハーブやサボテン、または、ゴムの木や幸福の木などを育てながら成長した。苔玉などを作ったりした時期もある。父は、さくらの就職活動時には、「さくらは、名前のとおり、植物が好きだからな」といって、植物を扱う輸入商に、母の実家のつても頼って、駆け回ってくれた。表面上は何事もなく、20年ほどが過ぎていた。その間、成績は学生時代を通じて、中の上程度、しかし、何かにすごく打ち込む、といったこともなく過ぎ去った。植物も好きだったが、のめりこむ、というほどではなかった。そもそもあの事故以来、何事にも熱烈に惚れこんだり、情熱を持って取り組むということがなくなってしまったのだった。さくらの心・精神のその部分は、あの事故以来、クリティカルな記憶とともに致命的に失われてしまったかのようにみえた。
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