メープル
結局、この夏から秋にかけて合計4、5回、上月の研究室に配達に行くことになったが、いつ行っても、上月はあの調子でまじめなのだか、からかってるのか、バカにしてるのかわからない感じの会話を仕掛けてくるのだった。しかし、お調子者な感じはともかく、植物関係の研究者の端くれらしく、きちんとした知識に立脚して、植物の不思議な生態や生理を教えてくれたり、そこから日常生活に役立ちそうな考え方や生活方法を話してくれたりした。この頃のさくらには、どことなく人をある一定の距離以内には近づけないある種の頑なさのようなものを漂わせていたのだけれども、上月にはその“壁”は効力を発揮しないようだった。なんだろう、変な人、でも、妙に落ち着くわね、それに、清潔そうで頼りがいのある体躯だし、などと思ったりした。そうこうしているうちに季節は秋になり、冬が来た。その年は、もう、上月に会うような用事もなく、不思議な思い出だけを残して、時間が流れていった。
次の年になり、ゴールデンウィークも過ぎ去り、街も落ち着いてきた5月の半ばのことだった。
「あ、さくらちゃん、久しぶり!」
「上月さん?」
「こんなところで会うなんて、奇遇だね?」
「今日は、おやすみなんですよ。」
ある土曜日の午後、阪急元町駅から一番街のアーケードをぶらぶら歩いていると、向こうから来たのは、上月勇二だった。半年以上、まったく会ってなかったのに、ファーストネームで呼びかけてくるあたり、この人、変わってないな、っと思ったが、表情には出さず、
「上月さんこそ、どちらへ?」
「いや、これと言って、用はないんだけど……。ちょっとお買い物っていうかね?まあ、それももう、終わって、ブラブラしてただけなんだけど……。そうだ、北野においしい紅茶を入れてくれる店があるんだよ。これから一緒にどうかな?」
「……」
しばらく考えたが、特に、今日は急ぐ必要もなかった。それに、上月にはちょっと聞いてみたいこともあったのだ。
「ええ、いいですよ。」
「ありがとう!今日は、ついてるな、俺」
と、素直に喜んでいる上月と並んで、神戸の街を散歩がてら異人館の方へ向かって歩いた。途中、相変わらず、上月は冗談とも本気ともつかない口調で薀蓄とばして、陽気だった。
店は異人館に近い、白壁の洋風の建物で、天井が高かった。
「俺、さくらちゃんと、一度、二人で話してみたいと思っていたんだ。何を、ってこともないんだけどね。」
「ありがとうございます。でも、あたし、あんまりおもしろくないですよ。」
「あらためて、自己紹介。俺は、上月勇二。あそこで助教を勤めています。今、35歳。」
「あ、あたしは山口さくら、で、……」
「あ、沢田さんって、あのおばちゃん?に聞いたことあるんだ、大学でてすぐにあのオフィスにきて、2年目なんだよね。」
「そうです。神戸の女学院です。」
「俺は、大阪生まれで、卒業したのは東京の大学なんだけど、縁あって、いま、神戸です。」
「あ、そうなんですね。大阪弁、出ませんね。」
「あー、話そうおもたら話せるよー。でも、まあ、普段は無難に標準語ですね。」
と、言われてみると、標準語部分にも微妙な大阪イントネーションがあった。私の年齢も24歳くらいってもう、知ってたんだな、と思った。
「さくらちゃんは、どこなん?」
「あたしは、芦屋です。家がそこにあって」
「へー、芦屋から通ってるんだね。結構たいへんでしょ。」
「そうですね。あ、でも、たいしたことないですよ。」
「ずっと?」
「ずっと」
「ふうーん」
「ん?」
なんとなく、上月は普段とは違う感じに見えた。なんとなく気になったがそれはそれとして、さくらは気になっていることを聞いてみた。
「上月さんは、植物のご関係のご専門なんですよね。どうして、植物を?」
「ああ、まあ、なんとなくなんだけど、ね。植物って、動けないじゃない。一か所に生えちゃうとさ、そこにそのまま。なのに、全体としては、すごい蔓延(はびこ)ってて。なんか素直にすごいなとか思っちゃったんだよね、大学3年のころ。実際、子々孫々、種として生き残るためにすごく、いろいろな工夫がなされているんだけどね。で、専門決めなさいってなった時、なんとなく植物の方の先生についてさ。で、根がそんなに器用ってわけでもないし、研究ってやってみるとね、これが結構、面白かったんだよ。もちろん、3年生くらいの時の素朴な興味じゃ、今はもうないんだけど、でも、まあ、楽しく、ぐずぐずやってたら、先生がいろいろ動いてくださって、神戸の街で、今、頑張ってるわけです。」
「ふうーん、大学で研究されてる方って、もっと使命感とか、召命感みたいなものがあるのかって勝手に思ってたわ。」
「一部の天才肌な人にはね、あるかもね。でも、そういう人も意識してないような気がするな。」
「ふぅーん」
「さくらちゃんはさ、どうして、あの輪傳堂に来たの?」
「植物が好きで、あそこだといろいろ珍しい植物も見れるから。」
「なるほど、しかし、可愛いのにちょっと、不思議だよね。最初、ドア開けたとき、びっくりしたよ。間違えたかな?って思ったもん。」
「お世辞言ってもダメですよ。何も出ません。」
「いや、マジ、可愛いよ。で、それにしても、あのオフィスといい、君にはなんだか違和感あるんだ。なんなんだろうね。」
「なんでしょうね?」
さくらには、彼の言っていることがよくわからなかった。違和感?
「うん、だから、話してみたかったんだよ。でも、まだよくわからない。わからないままでもいいんだけど。不思議だな。なんなんだろう?ちょっと、流れが堰き止められてるようなそんな感じっていえばいいのかな?うまく言えないんだけど、気を悪くしたらごめんよ。」
「あたし、子供のころから、こんな感じですよ。知らない人には、冷静で、落ち着いた子だね、って言われたり。」
「あーそうなんだね。うん、確かにね。そうかもね。なんか、ほっとけない感じするんだよね、でも。なんか正確に言えないなぁ。その、上からものをみて言ってるわけじゃないんだよ。もっと、良く知り合いたくなるんだ、遠くから見てるだけだと、よくわからない感じ。半分しか見せてくれてないっていうかさ。なんなんだろうね。」
「そんなこと言われたのは初めてです。大学の同級生とかも、さくらは落ち着いてて、渋いね、みたいなことは言われたけど。」
「大学時代、モテたでしょう?」
「全然です。なんか、近づきがたいらしくて。あたし、普通にしてるつもりなんですけど。」
「ふーん。なんだろうな。でも、ますます、興味わいてきた。」
「ありがとうございます。でも、普通ですよ。それに、面白くないし。」
「ゆっくり付き合ってくれるとうれしいです。また、会ってもらえる?性急に彼氏とか、恋人とかでなくって、全然かまわないから。学者さんってのは、わからないものをそのままにしつつ、少しずつ考えて行きながらぼーと付き合っていくってのは、職業上、慣れているんだ。ちょっと考えたら、ぱっとわかることなんて、研究にはならないんでね。何度も言うけど、気を悪くしないでね。そう言うつもりでは言ってないんだよ。」
さくらは、少し考えてから、
「ええ、わかりました。私も、上月さん、少し、興味出てきました。」
と答えた。
「うれしいな。じゃあ、今度は、おやすみの合うときに、布引のハーブ園にでも行ってみませんか?」
「はい、いいですよ。日にちは、えーと、また、連絡してください。」
「じゃあ、連絡先、メールとLineなんか使ってるかな?」
といいながら、連絡先を交換した。その日はそれで分かれて帰ることにした。上月は、大学に戻るといって、電車に乗って帰っていった。さくらは思った、やっぱり変な人。でも、ちょっと、懐かしい感じする人でもあるな。昭和だから?ふふ。それに、違和感?何言ってんだろうね、などと思いながら、改めてお買い物にもどった。
次の年になり、ゴールデンウィークも過ぎ去り、街も落ち着いてきた5月の半ばのことだった。
「あ、さくらちゃん、久しぶり!」
「上月さん?」
「こんなところで会うなんて、奇遇だね?」
「今日は、おやすみなんですよ。」
ある土曜日の午後、阪急元町駅から一番街のアーケードをぶらぶら歩いていると、向こうから来たのは、上月勇二だった。半年以上、まったく会ってなかったのに、ファーストネームで呼びかけてくるあたり、この人、変わってないな、っと思ったが、表情には出さず、
「上月さんこそ、どちらへ?」
「いや、これと言って、用はないんだけど……。ちょっとお買い物っていうかね?まあ、それももう、終わって、ブラブラしてただけなんだけど……。そうだ、北野においしい紅茶を入れてくれる店があるんだよ。これから一緒にどうかな?」
「……」
しばらく考えたが、特に、今日は急ぐ必要もなかった。それに、上月にはちょっと聞いてみたいこともあったのだ。
「ええ、いいですよ。」
「ありがとう!今日は、ついてるな、俺」
と、素直に喜んでいる上月と並んで、神戸の街を散歩がてら異人館の方へ向かって歩いた。途中、相変わらず、上月は冗談とも本気ともつかない口調で薀蓄とばして、陽気だった。
店は異人館に近い、白壁の洋風の建物で、天井が高かった。
「俺、さくらちゃんと、一度、二人で話してみたいと思っていたんだ。何を、ってこともないんだけどね。」
「ありがとうございます。でも、あたし、あんまりおもしろくないですよ。」
「あらためて、自己紹介。俺は、上月勇二。あそこで助教を勤めています。今、35歳。」
「あ、あたしは山口さくら、で、……」
「あ、沢田さんって、あのおばちゃん?に聞いたことあるんだ、大学でてすぐにあのオフィスにきて、2年目なんだよね。」
「そうです。神戸の女学院です。」
「俺は、大阪生まれで、卒業したのは東京の大学なんだけど、縁あって、いま、神戸です。」
「あ、そうなんですね。大阪弁、出ませんね。」
「あー、話そうおもたら話せるよー。でも、まあ、普段は無難に標準語ですね。」
と、言われてみると、標準語部分にも微妙な大阪イントネーションがあった。私の年齢も24歳くらいってもう、知ってたんだな、と思った。
「さくらちゃんは、どこなん?」
「あたしは、芦屋です。家がそこにあって」
「へー、芦屋から通ってるんだね。結構たいへんでしょ。」
「そうですね。あ、でも、たいしたことないですよ。」
「ずっと?」
「ずっと」
「ふうーん」
「ん?」
なんとなく、上月は普段とは違う感じに見えた。なんとなく気になったがそれはそれとして、さくらは気になっていることを聞いてみた。
「上月さんは、植物のご関係のご専門なんですよね。どうして、植物を?」
「ああ、まあ、なんとなくなんだけど、ね。植物って、動けないじゃない。一か所に生えちゃうとさ、そこにそのまま。なのに、全体としては、すごい蔓延(はびこ)ってて。なんか素直にすごいなとか思っちゃったんだよね、大学3年のころ。実際、子々孫々、種として生き残るためにすごく、いろいろな工夫がなされているんだけどね。で、専門決めなさいってなった時、なんとなく植物の方の先生についてさ。で、根がそんなに器用ってわけでもないし、研究ってやってみるとね、これが結構、面白かったんだよ。もちろん、3年生くらいの時の素朴な興味じゃ、今はもうないんだけど、でも、まあ、楽しく、ぐずぐずやってたら、先生がいろいろ動いてくださって、神戸の街で、今、頑張ってるわけです。」
「ふうーん、大学で研究されてる方って、もっと使命感とか、召命感みたいなものがあるのかって勝手に思ってたわ。」
「一部の天才肌な人にはね、あるかもね。でも、そういう人も意識してないような気がするな。」
「ふぅーん」
「さくらちゃんはさ、どうして、あの輪傳堂に来たの?」
「植物が好きで、あそこだといろいろ珍しい植物も見れるから。」
「なるほど、しかし、可愛いのにちょっと、不思議だよね。最初、ドア開けたとき、びっくりしたよ。間違えたかな?って思ったもん。」
「お世辞言ってもダメですよ。何も出ません。」
「いや、マジ、可愛いよ。で、それにしても、あのオフィスといい、君にはなんだか違和感あるんだ。なんなんだろうね。」
「なんでしょうね?」
さくらには、彼の言っていることがよくわからなかった。違和感?
「うん、だから、話してみたかったんだよ。でも、まだよくわからない。わからないままでもいいんだけど。不思議だな。なんなんだろう?ちょっと、流れが堰き止められてるようなそんな感じっていえばいいのかな?うまく言えないんだけど、気を悪くしたらごめんよ。」
「あたし、子供のころから、こんな感じですよ。知らない人には、冷静で、落ち着いた子だね、って言われたり。」
「あーそうなんだね。うん、確かにね。そうかもね。なんか、ほっとけない感じするんだよね、でも。なんか正確に言えないなぁ。その、上からものをみて言ってるわけじゃないんだよ。もっと、良く知り合いたくなるんだ、遠くから見てるだけだと、よくわからない感じ。半分しか見せてくれてないっていうかさ。なんなんだろうね。」
「そんなこと言われたのは初めてです。大学の同級生とかも、さくらは落ち着いてて、渋いね、みたいなことは言われたけど。」
「大学時代、モテたでしょう?」
「全然です。なんか、近づきがたいらしくて。あたし、普通にしてるつもりなんですけど。」
「ふーん。なんだろうな。でも、ますます、興味わいてきた。」
「ありがとうございます。でも、普通ですよ。それに、面白くないし。」
「ゆっくり付き合ってくれるとうれしいです。また、会ってもらえる?性急に彼氏とか、恋人とかでなくって、全然かまわないから。学者さんってのは、わからないものをそのままにしつつ、少しずつ考えて行きながらぼーと付き合っていくってのは、職業上、慣れているんだ。ちょっと考えたら、ぱっとわかることなんて、研究にはならないんでね。何度も言うけど、気を悪くしないでね。そう言うつもりでは言ってないんだよ。」
さくらは、少し考えてから、
「ええ、わかりました。私も、上月さん、少し、興味出てきました。」
と答えた。
「うれしいな。じゃあ、今度は、おやすみの合うときに、布引のハーブ園にでも行ってみませんか?」
「はい、いいですよ。日にちは、えーと、また、連絡してください。」
「じゃあ、連絡先、メールとLineなんか使ってるかな?」
といいながら、連絡先を交換した。その日はそれで分かれて帰ることにした。上月は、大学に戻るといって、電車に乗って帰っていった。さくらは思った、やっぱり変な人。でも、ちょっと、懐かしい感じする人でもあるな。昭和だから?ふふ。それに、違和感?何言ってんだろうね、などと思いながら、改めてお買い物にもどった。