メープル
マウイ
 さくらとユウジは、その後もしっかりと交際を深め、寄り添って歩いている姿を見た誰もが、あらいいい感じの恋人同士ね、という感想を普通に持つような雰囲気になっていた。そのように過ぎつつあったある年の夏の終わり、さくらは久しぶりに取れた長めの休暇で、ユウジとマウイ島に来ていた。もう9月になろうかという晩夏のことである。この年は、だらだらと猛暑が続き、少しバテ気味だった彼女は、ユウジに、

「久しぶりにちょっと長めのおやすみがもらえたの。どこかでのんびり、だらだらしたいな?」

と言ってみたのだ。

「マウイ島はどうだい?」

「国内でいいわよ?」

「その時期、国内の海はもう、良くないよ。きっとクラゲも出てるし……」

「そう……、任せるわ。」

といった会話をした次の日には、彼は旅程表と海辺のコテージ、それにレンタカーの予約をとって、E-mailしてきた。

「この時期のマウイはいいぞ!みんな冬に行きたがるんだけれども、冬のハワイは雨期なんだ。本当は夏がいい。日本よりは遥かに涼しいし、野生のウミガメも見れるよ。それにね、カパルアのビーチから見る夕日は最高だよ、信じられないくらい真赤なんだ。空が燃えているような感じになる。忘れられない夜になるよ。冬に行くなら、むしろ沖縄だな。プーケットなんかもいいけど……。」

さくらは、ふうーん、と鼻を鳴らして、脇に置いていたティーカップの紅茶を一口、啜ってから、

「どうもありがとう。あなたのそういうところ、好きよ。」

とだけ書いて、返信のボタンをクリックした。去年の秋のラグビー観戦時、少し取り乱した彼女ではあったが、日を重ねるにつれて、元の彼女に戻っていた。さくらの冷静に物事を運ぶ癖も変わらなかった。冷静というより、興奮したり、情熱的になったりしない。何か興味をもった物事があっても、必要以上に浮き足だったり、興奮しすぎて失敗するといったことは絶えてなかった。ユウジといるときだけ、少し、華やぐときもあるがかなり例外的な状況に限られていた。理系の研究職であるユウジはそんなさくらの落ち着いた人柄に少しずつ惹かれていったのだが、常にある種の違和感も感じていた。それが、こないだのラグビー観戦の時に、少しだけ垣間見えたような感じだった。違和感の正体ははっきりしなかったが、大事な何かの欠落のようなものがさくらの何処かに潜まされていて、それがはっきりとはしない形で彼女の本来の姿を歪ませているみたいだなと感じつつあった。何かの存在ではなく、何かの不在、それが彼女の存在自体をも大きく損なっているのだ。彼が初めて見たときから、不思議にさくらに惹かれたのは、その不在と無関係ではないのだろうと彼は思っているようだった。とはいうものの、二人の関係は、静かながらも着実に進行していた。信頼関係も十分に培われていて、この頃には余計なことを言う必要がないほど、深まってもいたのだ。

その約一か月後、実際にやってきたマウイは、確かに素晴らしいところだった。ホノルルのあるオアフは、国際線のゲートをでた瞬間から

「しゃちょー、ロレックス、やすぅいよ!」

というハワイアンネイティブの血を色濃く受け継いでいるかのように思われるおばさんたちの“連続集中攻撃”を受けたが、彼女たちは、それ以外の日本語を話せるわけではなかった。その攻撃をかわしつつ、飛行機を乗り継ぎ、カフルイ空港に降り立つと、そこは別天地だった。彼が、Hertz のオフィスでレンタカーの手続きをしている間、さくらは、手持無沙汰に、ハレアカラの火山を眺めていた。

「コンパクトクラスだと、KIAのおもちゃみたいなのだっていうから、もうちょっとなんとかしてくれって頑張って交渉したんだ。そしたら、同じ金額のままで、ビュイックのアッパーミドルセダンに変えてくれたんだ。」

と、ちょっと自慢げに帰ってきた彼に微笑み返して、彼がドアを開けて待ってくれている助手席に乗り込んだ。車がビーチ沿いのハイウェイに沿って走り出すと、さくらは息を飲んだ。真っ青な空に、ソフトクリームを手掴みして投げつけたような真っ白な雲がいくつか浮かび、それを鏡に映したような真っ青な大海原が広がっていた。

「ノースショアを通って、ラハイナまで行くよ。カアナパリには、シュガーケイントレインも走っているはずだよ。」

と彼が説明してくれていた。でも、さくらは、まったく別のことを考えていた。全開の窓越しに美しい海の方を眺めながら、ぼんやり昔のことを思い出していた。
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