冷たい雨の降る夜だから
 誰かと出掛けたのも、好きな服を買うのも、何年振りだったろう。ずっと、見てるだけで、自分には似合わないと思っていたし、似合う様に何かするわけでもなかった。

「買い物も、たまには付き合ってやるよ」

「ほんと?」

 先生は絶対一緒に買い物とか苦手なタイプだと思っていたら、案の定「たまには、な」と付け足された。言外にいつもは無理だ、と読み取れて思わず笑ってしまう。買い物なんて付き合ってくれなくても、先生と一緒に出掛けられるそれだけで私は十分すぎるほど幸せなのに。

「ところで翠。俺、そろそろ上がろうと思ってたんだけど。別に俺は、お前がそこにいてもいいけど?」

 先生の言葉が一瞬理解できなくて思考が止まる。ここ、脱衣所…… そこに居ても良いって、それって……

「え、やだ。ちょっとまって!!」

 湯船から立ち上がったと思われる水音に、私はばたばたと慌ただしく脱衣所から廊下に逃げ出した。一昨日泊まった時なんてまともに先生の顔すら見られなかったのに、いきなり裸なんてハードルが高いなんてものじゃない。

 だけど、緊張する反面凄くドキドキしていた。小さくため息をついてドアに寄りかかったまま座り込む。先生の事を、意識はしてしまう。先生と一緒に居ると凄く安心する。抱き締めてもらうのも、キスをするのも凄く好きで…… もうお互いに大人で恋人同士なのだから、そう遠くないうちにその先も考えないといけないのだと判っている。

 だけど、肝心のその先が不安だらけで堪らない。

 先生は、大丈夫になるまで待つって言ってくれたけど、大丈夫ってどういうことだろう? 私は、そういう事ちゃんとできる……?

 そんな事をぐるぐる考えていた私の背中に、ドアを動かそうとする力のかかった気配。

「翠? そこにいんのか?」

「わぁ、ごめんなさいっっ」

 先生の声がするのと、慌てて立ち上がるのと殆ど一緒だった。

「こんなとこ居たら冷えるだろ」

 お風呂上りだからいつもよりも温かい先生の手が、私の頬を軽く撫でる。見上げた先生の髪はまだ濡れていて、もう一方の手にはドライヤー。

 濡れた髪がなんだか色っぽいとか思ってしまう今日の私は……なんか変? 一昨日の比でなく先生を意識してしまう。無造作に髪をタオルで拭く男っぽい手とか。ロングTシャツの襟元から見える鎖骨とか。お風呂上りで眼鏡をしてない、涼やかな目元とか。一昨日、自分の気持ちにいっぱいいっぱいで先生の事をちゃんと見れなかった分、今日は凄く先生にドキドキする。
< 117 / 139 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop