冷たい雨の降る夜だから
翠は人気の無い物理実験準備室の実験台の上に鞄を置いて、さらにその鞄の上に顎を置いて不機嫌にドアを見つめていた。
せんせ、早く帰ってこないかなぁ。
最初のうちは新島がいないときは入らないようにしていたし、どうしても会いたい時は部屋の前で待っているようにしていたけれど、最近はいないときはこうして準備室の中で待っているようになった。特に文句も言われないからきっと大丈夫なのだろう。
鞄の中からブーブーっと携帯の音がして翠は余計に憂鬱になった。携帯をみると、メールの差出人はやはり渡辺 大輔。
『部活終わったら一緒に帰ろう?』
そんなメールにゾクッと寒気がした。昨日、駅まで一緒に帰ったけれど大輔は手を繋ごうともしなかったし、翠に触れようともしなかった。そんな事をされていたら、悲鳴をあげて突き飛ばしていたと思うから、そんな事がなかった事に安心もしていた。
だからと言って、それを連日続けられるかと言うかと言うと、否。顎を鞄に乗せたまま見つめ続けていた曇りガラスのドアに人影が映って、翠はパッと顔を上げた。
帰ってきた! そう思って見つめている中、ドアが開く。
「せんせ、おそいー」
「なんだそのツラ」
新島は翠を見るなりそう言って苦笑した。
「あんまぶーたれてるとそれで顔固まるぞ」
「だってぇ」
翠はそれでも不満げに頬を膨らませて新島を睨んだ。まだ男の人と付き合おうとか、誰かと仲良くしようとかそんな気持ちはどこにも無い。それなのに、大輔と一緒に帰るのが翠にとっては拷問の様ですらあった。
先生なら平気なのに。そう思うと尚更新島が教師なのが余計に腹立たしく感じられた。
そんな翠の気持ちを他所に、新島がいつも使う机の上においてある四つ折りになっている紙を開いて、新島は口元に笑みを浮かべた。
「ま、俺が見てやったんだから当然だな」
ぽんっと頭の上に帰って来たその紙を翠は広げた。
ホントは昨日一番に見せに来たかった。
クラスで最高点だった翠の化学のテスト。成り行きで大輔と帰ることになったせいでここに来られなかったのが一番の不満だった。
「ねぇ、せんせ。7組の渡辺君って知ってる?」
「渡辺?」
「サッカー部の、渡辺君」
「部活いわれてもわからん。んー、二年の渡辺……渡辺」
「サッカー部の渡辺 大輔君」
翠は不満そうに口を尖らせながらフルネームを告げたが、新島は相変わらずはっきりと一致していないらしく、怪訝そうに眉をひそめたまま。
「ねーぇ、渡辺君ってどんな人?」
「は?」
どんな人ってどういう意味だ?と新島は怪訝そうに翠を見る。
「7組だから物理取ってるはずだもん」
「んー、これと言って特筆事項を記憶していない」
新島はちらりと翠を見て続ける。
「まぁ、覚えて無いって事は特に優秀でも、お前みたいにアホでも無いって事だな」
にやりと口元に笑みを浮かべて結ばれた新島の答えに、あぁと少し納得しかけて翠は軽く新島を睨んだ。
「なんか酷いこといわれた気がするぅ」
「で、そいつがどうしたんだ?」
「だって」
翠は不満げに口を尖らせて新島を見る。
「なんか告られそうなんだもん」
ベシッと机の上にあった薄っぺらい物理の問題集で頭を叩かれた。もちろん痛くはないけれど。
「いったーい」
「自意識過剰」
「だって、わざわざ友達からって言うんだよ!」
「なってやれよ、友達くらい」
呆れた表情で言うけれど、それでも翠にあまりキツく言わないのは、新島が昨年2月の出来事を知っているからだ。
「だって…」
「告られたらそんとき考えろ。今から無視してちゃ不憫だろうが」
「むぅ~」
翠はふくれて鞄の上に顎を置いて、またぶーたれた。そんな翠の顎の下の鞄の中でまたブーブーっと携帯がなった。
『部活終わったから、昇降口で待ってる』
メールを見て翠はため息をついた。
「帰りまぁす」
翠は渋々重い腰を上げた。ため息をついて、鞄をずるずると机の上で引きずって準備室の出口に向かう。
「北川」
新島に呼ばれて振り返った翠の顔は、相変わらず不機嫌を絵に描いたような顔だった。
「どうしても駄目だったら無理しないで戻って来い」
その言葉に、翠はようやく小さく笑った。
「うん、せんせありがと」
新島の眼鏡の奥の瞳が優しかった。それに後押しされて翠は少し安心してドアを閉じた。
せんせ、早く帰ってこないかなぁ。
最初のうちは新島がいないときは入らないようにしていたし、どうしても会いたい時は部屋の前で待っているようにしていたけれど、最近はいないときはこうして準備室の中で待っているようになった。特に文句も言われないからきっと大丈夫なのだろう。
鞄の中からブーブーっと携帯の音がして翠は余計に憂鬱になった。携帯をみると、メールの差出人はやはり渡辺 大輔。
『部活終わったら一緒に帰ろう?』
そんなメールにゾクッと寒気がした。昨日、駅まで一緒に帰ったけれど大輔は手を繋ごうともしなかったし、翠に触れようともしなかった。そんな事をされていたら、悲鳴をあげて突き飛ばしていたと思うから、そんな事がなかった事に安心もしていた。
だからと言って、それを連日続けられるかと言うかと言うと、否。顎を鞄に乗せたまま見つめ続けていた曇りガラスのドアに人影が映って、翠はパッと顔を上げた。
帰ってきた! そう思って見つめている中、ドアが開く。
「せんせ、おそいー」
「なんだそのツラ」
新島は翠を見るなりそう言って苦笑した。
「あんまぶーたれてるとそれで顔固まるぞ」
「だってぇ」
翠はそれでも不満げに頬を膨らませて新島を睨んだ。まだ男の人と付き合おうとか、誰かと仲良くしようとかそんな気持ちはどこにも無い。それなのに、大輔と一緒に帰るのが翠にとっては拷問の様ですらあった。
先生なら平気なのに。そう思うと尚更新島が教師なのが余計に腹立たしく感じられた。
そんな翠の気持ちを他所に、新島がいつも使う机の上においてある四つ折りになっている紙を開いて、新島は口元に笑みを浮かべた。
「ま、俺が見てやったんだから当然だな」
ぽんっと頭の上に帰って来たその紙を翠は広げた。
ホントは昨日一番に見せに来たかった。
クラスで最高点だった翠の化学のテスト。成り行きで大輔と帰ることになったせいでここに来られなかったのが一番の不満だった。
「ねぇ、せんせ。7組の渡辺君って知ってる?」
「渡辺?」
「サッカー部の、渡辺君」
「部活いわれてもわからん。んー、二年の渡辺……渡辺」
「サッカー部の渡辺 大輔君」
翠は不満そうに口を尖らせながらフルネームを告げたが、新島は相変わらずはっきりと一致していないらしく、怪訝そうに眉をひそめたまま。
「ねーぇ、渡辺君ってどんな人?」
「は?」
どんな人ってどういう意味だ?と新島は怪訝そうに翠を見る。
「7組だから物理取ってるはずだもん」
「んー、これと言って特筆事項を記憶していない」
新島はちらりと翠を見て続ける。
「まぁ、覚えて無いって事は特に優秀でも、お前みたいにアホでも無いって事だな」
にやりと口元に笑みを浮かべて結ばれた新島の答えに、あぁと少し納得しかけて翠は軽く新島を睨んだ。
「なんか酷いこといわれた気がするぅ」
「で、そいつがどうしたんだ?」
「だって」
翠は不満げに口を尖らせて新島を見る。
「なんか告られそうなんだもん」
ベシッと机の上にあった薄っぺらい物理の問題集で頭を叩かれた。もちろん痛くはないけれど。
「いったーい」
「自意識過剰」
「だって、わざわざ友達からって言うんだよ!」
「なってやれよ、友達くらい」
呆れた表情で言うけれど、それでも翠にあまりキツく言わないのは、新島が昨年2月の出来事を知っているからだ。
「だって…」
「告られたらそんとき考えろ。今から無視してちゃ不憫だろうが」
「むぅ~」
翠はふくれて鞄の上に顎を置いて、またぶーたれた。そんな翠の顎の下の鞄の中でまたブーブーっと携帯がなった。
『部活終わったから、昇降口で待ってる』
メールを見て翠はため息をついた。
「帰りまぁす」
翠は渋々重い腰を上げた。ため息をついて、鞄をずるずると机の上で引きずって準備室の出口に向かう。
「北川」
新島に呼ばれて振り返った翠の顔は、相変わらず不機嫌を絵に描いたような顔だった。
「どうしても駄目だったら無理しないで戻って来い」
その言葉に、翠はようやく小さく笑った。
「うん、せんせありがと」
新島の眼鏡の奥の瞳が優しかった。それに後押しされて翠は少し安心してドアを閉じた。