冷たい雨の降る夜だから
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 そろそろ返事ほしい…かぁ。

 ブクブクとお風呂に顔の半分まで浸かって翠は息を吐いた。

 当たり前……だよねぇ…… 学校で会うのは明日と明後日だけ。そのときに返事をしなければ夏休みに突入して…… お返事しないまんまフェードアウト~なんてワケにはいかないよね……

 不誠実極まりない自覚はあれど、そんなことを考えながら翠は大輔につかまれた腕を見た。

 日焼けした、大きな手。その手の温度を感じなかった。温度を感じるより先に、その手でいつかされるであろう事に頭が一気に拒絶を示していた。

 女の子の手と違う、どこか骨っぽい男の人の手。大きな手。

 腕を捕まれるのが嫌だった。

「やっぱりまだ無理…」

 だからそう言おうと思って居たのだ。それなのに。

 翌日、翠はHRが終わるなり物理実験準備室に駆け込んでいた。珍しくHR直後に居た新島はノックもなくバタンッとものすごい勢いで開いたドアに眉をしかめたが、今の所、珍獣でも見るかのように翠を眺めている。

「言えなかったぁ!!!」

 昼休みに突然教室に大輔がやってきた。教室を連れ出されはしたものの、美咲をはじめ友達達は、廊下で話している翠と大輔を興味津々で見ているのを、背後からひしひしと感じる。

 そんな状況で、翠は大輔に無理だと伝える事ができなかった。大輔が男の人だと思うだけで、萎縮して言葉が出なくなってしまう。

『無理なら無理って言ってくれていいんだ』

 そう言われたにも関わらず、翠は無理だと言えなかった。言えなかったという事は、付き合う……ことになるのだろう。

 翠にも判っていた。だからどうしたらいいのかわからなくて、ここに逃げてきてしまった。

 暴れる翠を一頻り眺めて、大体状況に察しがついたのか、新島は普通に提出物らしき問題集の山に視線を落とす。完全無視を決め込まれるのもまた居心地が悪くて、じとっと新島に視線を送ると、チラリと目線を寄越した新島が呆れたように息をついた。

「北川、付き合ってるなら来るなって言ってるだろ」

「なんで」

 眼鏡の奥の鋭い瞳で不満げな翠を見て、新島は小さくため息をついた。

「好きな女が毎日他の男と2人っきりで居るのを喜ぶ男は居ない」

 不満に口を尖らせた翠にも新島の言葉が筋が通っているのがわかる。

「だって付き合いたいわけじゃないもん…。
言えなかっただけだもん…」

「だったら今すぐやっぱり付き合えませんって言ってきな」

 それも無理、と翠は不満たっぷりの眼差しで新島を見た。仕事の手を休めない新島を見ながら翠は猫型冷温庫を開けたけれど、中にはコーヒーが数本入っているだけで、翠好みの甘いカフェオレもミルクティーも入っていなかったからすぐに閉じた。

「なんか買ってくる」

「俺にも」

 翠は小銭入れを渡されてきょとんとして新島を見た。

「コーヒーは入ってたよ?」

「温かいの」

『ブラック微糖』

 二人の声がハモって、ニッと新島は口元に笑みを浮かべた。

「よろしく」

「はぁい」

 翠はペットボトルのお茶と温かい缶コーヒーを買って、物理実験準備室にぷらぷらと戻る。本来であれば部活に行っているはずの時間に制服で自販機で飲み物を買っている、その様子を大輔に見られたのを翠は全く気付いていなかった。
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