冷たい雨の降る夜だから
「すーい。おはよ」

 朝、まだ登校している生徒もまばらな頃。振り返ると嬉しそうににこにこ笑った美咲の顔があった。

「渡辺から聞いちゃったぁ~。付き合っちゃったんだってぇ?」

 つんつんと腕をつつかれて翠は思わず顔をそらした。それを照れと取ったのか美咲は翠の腕に腕を絡めて来る。

「良いヤツでしょ?アイツなら無理矢理とかしないしさ」

「む、無理矢理って!!」

 無理矢理、という言葉に思い出すのは半年前の事で翠は思わず声を荒げた。そのあまりの音量に、教室に居たクラスメートが何事かと翠と美咲を見るから、翠は慌てて美咲を廊下に引っ張り出した。

「ちゃんと付き合うまでは手、出さなかったでしょ?」

 そんな大袈裟に反応しないでよ、と美咲は小声で言って苦笑した。だけど翠にとっては十分過ぎるほど、痛い傷だ。そもそも大輔とだって付き合いたいわけじゃなかったのに。自分でもどうしてこんなに言葉が出ないのか判らないくらい、男の人と二人になると怖くて声が出なくなる。

 先輩の事を、出来れば誰にも話したくない。思い出したくも無い。だけど、話さなかったら……きっと遠く無いうちに手を繋ぐだけじゃなくなる…。

 やっぱり……今は誰とも付き合いたくない。

 何度考えてもたどり着く答えは一つで、翠はため息をついた。

「何ため息なんてついて。せーっかく夏休みなんだからさ、たーっぷりラブラブしちゃいなってぇ。さっそく今日の午後とかさ、デートしたらいいじゃない」

 お気楽に言われながら、翠は忘れていた現実に愕然とした。

「今日って…部活無いの?!」

「無いよ。終業式だもん」

 当たり前じゃないといわれて、翠は盛大にため息をついた。

 終業式はあっさりと終わってしまって、HRの後に携帯を見ると大輔からメールが来ていた。

『教室で待ってるから』

 その一言で、大輔のクラスの方が先にHRが終わったことが知れた。

「すっい~、じゃぁ渡辺と仲良くね。メールするから遊ぼうね~」

 ニコニコと手を振って帰っていく美咲に翠は上の空で手を振った。

 どうしよう…… すぐ行かないとやっぱ駄目なのかなぁ?

 夏休みに入ったら、新島ともしばらく会えなくなってしまう。HRの後に少しでいいから会いに行こうと思っていたのに、大輔が先に終わっているとなると、それも難しい気がして翠はため息をついた。

 昨日、ちゃんと話さずに憎まれ口を叩いて出てきたのが悔やまれた。今日も行くと新島には宣言していたのに……

 ちょっとだけ、ちょっとだけならいいよね……?

 翠は物理実験準備室に向かって駆け出した。
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