冷たい雨の降る夜だから
 何度も何度も翠の足元にある鞄の中で携帯が鳴っていた。見なくても誰からの着信か想像がついて、翠はずっと携帯に手を触れようともしていなかった。

 見るの……怖い。

 翠が漸く実験台の下から這い出した時には新島の姿は物理実験準備室に無かった。だけど、翠が机の上に置いておいた手紙は無くなっていた。何一つ会話をしていないのが寂しかった。何度目か判らないけど鼻をかんで、すでに腫れぼったくなっている目を擦る。

 散々走って、更に泣いたせいか喉がカラカラで、何か飲もうと猫型冷温庫を開けると中には水とコーヒーと紙パックのジュースが入っていた。いつもならジュースを選ぶところだけど今はジュースなんて気分ではなくて、翠は水を取り出して冷温庫を閉めて、撫で撫でと猫型冷温庫の頭を撫でた。

「せんせ、どこいっちゃったんだろうねー。猫ちゃん」

 翠がぼんやりしながら水を飲んでいると、新島が戻って来た。

「せんせ、おかえり」

「やっと出てきたか」

 泣きはらした顔の翠に新島は苦笑して、翠の目の前にぽんっとコンビニの袋を放ってきた。

「好きなの食いな」

 袋の中を覗き込むと、パンがいくつか入っていた。そう言えば、午前で終わりだったからお昼ご飯を食べていない。あまりお腹は空いていない気もするけど、でもなんとなく空いているような気もする。

「ありがと……先生は?」

「もう食った」

 さらっと言われて翠はコンビニの袋の中を改めて見た。中には調理パンとチョコレートデニッシュやメロンパンが入っていた。

「……せんせ、チョコとか食べるの?」

 普段甘いものを食べているところを殆ど見かけない新島が、わざわざチョコデニッシュを買って食べるのは想像がつかなかった。

「たまにはな。別に食って良いぞ」

「ふぅん……」

 翠は少し残念な気分でチョコデニッシュの袋を開けた。翠の為に買ってきてくれたのかと思ったのに。新島はジュースだってミルクティーだってカフェオレだって飲まない。翠の為に買って置いてくれていると思っていたのに。

 そんな翠の思考を携帯電話の振動音が遮った。

 翠は漸く鞄の中から携帯を引っ張り出して、はぁ…とため息をつく。判りきっていたけれど携帯電話には大輔からの着信がズラリと並んでいた。

「一言位は返してやれ」

 翠は新島を見上げた。

「なんも応答が無いと、余計にムキになるし、頭も冷えない。明日にでも連絡するとか言っときゃとりあえず治まるさ」

「そういうもの?」

 新島は翠を見てニヤリと笑った。

「渡辺が大人ならな」
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