冷たい雨の降る夜だから
 気がついたときには、駅ビルのベンチに座ってた。周りは何事もなく動いている中、ぽつんとベンチに座ってボーっとしていた。

 家に、帰らなきゃ……

 翠はそう思って駅の改札に向かって歩き出したけど、足元はふわふわしていて、これが夢なのか現実なのか判らなかった。

 抜け殻の様な状態で家に帰って、頭まで布団を被っていたら、カバンの中から携帯電話が鳴る音がした。出たくない。
そう思っているのに、電話は鳴り止まなくて。

 渋々ベッドから這い出して携帯電話を手に取った翠は、表示されている名前に目を丸くした。

『新島せんせ』

 うそ? 信じられない。なんで先生から電話?! っていうか出なきゃ!!

 あまりに驚いて携帯を手にフリーズしていた翠はあわてて通話ボタンを押した。

「もしもし先生?」

 番号交換はしたけど、新島から電話がかかってくるなんて考えもしなかったのだ。

「北川? お前今どこだ?」

「え?今、家……」

どこって? やだ、なんかのお誘い?! 翠は部屋で一人、一気に熱くなった頬に思わず手を当てる。電話の向こうからは駅のアナウンスや、電車の発車メロディーもかすかに聞こえてきていた

「ちゃんと帰ったんだな? ならいい」

 少し緊張していたような新島の声が、わずかに柔らかいトーンに変わって、安堵したのだと伝わってきた。だけど、ちゃんと帰ったって何? どういう事?? 聞き流せずに首を貸した翠に、更に新島が続ける。

「人違いだって思ってるんならあんなに取り乱すなよ。心配になるから」

 何の話……?

「あのー先生、話がよくわかんないんだけど……」

「……お前、もしかして俺に電話寄越したの覚えてないのか?」

「…え?」

 新島に電話を掛けた? 覚えていないのかと言われても、翠には全く覚えがなかった。

 もしも本当に電話をかけたとしたら、道又に似た人を見かけてから、駅ビルのベンチに座ってるのに気がつくまでのあの間しか思いつかなかった。

「覚えてないんだな?」

 電話の向こうで新島がため息をついたのが判った。

「先生、あたし、なんて電話したの?」

 新島に電話して、一体何を話したのか不安になった。

「いや、いい。お前が本当にヤバかったのがわかったからいい。もしまたなんかあったら電話寄越せよ」

 新島の電話はそれだけで、あっけなく切れた。
< 36 / 139 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop