冷たい雨の降る夜だから


 翠はいつものように物理実験準備室で勉強をしていた。勉強をしていれば新島は特に文句を言わずに居させてくれるから、ここに居る間に宿題を片付けるのが、この半年ですっかり習慣になっていた。今日は最近にしては珍しく新島もいて、時々教えてもらいながら数学の宿題をやっていた。もうずいぶん寒くなったと思うのにいつまでたっても学校の暖房は入らなくて、日の差さない日陰の物理実験準備室は翠には真冬のように感じられた。

「ねぇ、せんせー。寒いよー。この部屋いつになったら暖房入るの?」

「知らん。寒いならさっさと帰れよ」

 返ってきたいつもの釣れない声音に、ぷぅと翠は頬を膨らませた。自分だけジャケットの下にカーディガンとか着ててずるい。

 なんか貸してくれたって良いじゃん。そう不満に思うのは、この間肩にかけて言ってくれたジャケットの温もりを思い出してしまうから。

 ただ、よく考えてみたら知り合ってからずっと新島はこの調子だ。むしろこの間優しかった事の方がイレギュラー。いったいどういう風の吹き回しだったのだろう? と翠が思っていたとき、新島の携帯が鳴った。

 ヴーヴーヴーと音を響かせる携帯をジャケットの内ポケットから出した新島を翠は思わず凝視してしまっていた。新島は、この部屋に居る時でも携帯をいじっているところなんてほとんど見ない。鳴り止まない携帯に眉をひそめた新島は、しばらく見つめた後諦めたかのように、鳴り続けている電話を取った。

「いや、まだ職場。……行けないことも無いけど」

 何を話しているのかはもちろん判らない。だけど、漏れ聞こえてくる声が翠に教えてくれることが一つだけあった。

 それは……新島の電話の相手が、女の人だということだった。

「ちょっと早いけど帰るぞ。駅まで行くから乗ってくか?」

「え?……う、うん」

 電話を切った新島にそういわれて、翠は一瞬話しかけられたのが自分だと気づかなくて、少し戸惑いながら頷いた。そんな翠を他所に、新島が机の上を片付けだしたのを見て、慌てて翠も開いていた教科書やノートを片付けたけれど、ざわざわと嫌な感じに胸騒ぎがした。

 新島と一緒に帰るときは、もちろん一緒に駐車場に行ったりしない。物理実験準備室だって一緒に出ない。翠は昇降口を出て人が居ないのを確認してから、校舎裏の職員駐車場に向かった。
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