冷たい雨の降る夜だから
「先生、何食べたい?」

「お前が食いたいもんでいいよ」

 お店眺めながら少し歩いて、結局創作和食のお店にした。何となく先生って和食の方が好きそうだったから。それにここは夏帆が彼と来て美味しかっと言っていたお店だと記憶の片隅に残っていた。

 平日だからかそこまで混んではいなくて、通された席は簾や植物を上手く使って個室感を出してある。向かい合って座るテーブル席じゃなく、カウンターのように隣に座る席だった。向かい合うのはなんか落ち着かないから隣でちょっと安心した。

 先生はビール、私は梅酒のソーダ割り。のんびりと飲みながら話すことは、今の事。顔すらあわすことのなかった期間なんてなかったのように、私も先生も昔の事を話さなかった。仕事のこととか、同僚の事とか、他愛のないこと。前はあまり話してくれなかった、先生の事も。先生は前より話し方が少しやわらかくなった気がする。時々絡む視線も、前よりもずっと柔らかい。

 昔は確かな一線があったのに。どんなに近くで話してても、先生は私にきっちり線を引いてた。自分のプライベートの事を全くといっていいほど話さなかった。物理実験準備室の外ではすれ違うことがあっても一切言葉は交わさなかった。車はいつも後部座席だった。

 だけど今は、その一線を感じない。

 先生……もうあの一線は要らないの? 私、もっと近くに行っていいの?

 お手洗いで観た鏡の中の私は、笑っていた。自分ですら久しぶりな気がするその表情に、そっと頬に手を当てる。火照った頬がお酒のせいなのか、それとも先生といるからなのか判らなかった。

 戻るとお会計まであっさり済まされていて、お財布を出そうとしたら、少し呆れたように笑って言われた。

 「じゃぁ、今度な」

 今度……? 思わず先生を見上げた私の頭を先生がぽんぽんと撫でた。

「お前、酒のめるなら金曜日とかさ。俺、基本的に平日は飲まないし」

 それ2人で……だよね? 先生と私は、いつも2人だったし。そんな事言われると、期待……しちゃうんだけど。また会えるのかもしれないとか、また昔みたいに一緒に居られるのかなって。

 先生、何で卒業して5年も経ってから連絡くれたの? 私は、先生にとってどんな存在? 先生、私は……

 私は先生の事好きだよ。

 7年前から、ずっとずっと、先生の事だけ好きだよ。

「北川?酔ってる?」

 伸びてきた先生の手が、私の耳元にかかってた髪を軽く梳いていく。

「耳、赤いぞ」

 そういって見せた笑顔は、優しいけど何処かいたずらっぽい。その表情と、耳朶に触れる先生の指の冷たさに、頬の熱さを再確認させられて更に頬が火照った気がした。

「今も実家か?」

 私が頷くと、先生は私の頭をなでて小さく笑って言った。

「送ってく」

 ……他の人なら、絶対嫌なのに。二人でご飯もお酒を飲むのも。頭をなでられて、髪を触られるのも。送ってもらうなんて、絶対に嫌なのに。それなのに、先生に言われるとまだ一緒に居れるんだって…嬉しくなる。

 今に始まったことじゃなくて、昔からなんだけど。どうしてかな。なんで先生は平気なんだろう。前に先生にも言われたことがあるけど、私、どうして先生のこと平気なんだろう。
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