冷たい雨の降る夜だから

 仕事を終えて、会社を出てから先生にメールを送る。夏帆には、結婚してるかはきちんと確認するように言われていた。間違っても何も確認しないまま浮気相手みたいなものになっちゃだめだよ、ときっちり念を押された。

 私の記憶の中の先生は、浮気とかしそうにない。だけど、先生の歳や夏帆に言われたことを考えるとどうしても不安に駆られてしまう。浮気しそうにないと思うのだって、私の勝手なイメージに過ぎない。

 先生はどうして5年も経った今、連絡をくれたんだろう。今、私は先生にとってなんなんだろう。教え子とはそもそも違う。ちょっと思い出しただけ?

 学校の近くの駅の西口にあるバスプールと乗り降り用のロータリーに向かう階段を降りる足取りは、どうしても重くなってしまっていた。

 私が6年前に、先生の車から降りた場所。その日以来先生と会わなくなった、高校時代に最後に先生と話した場所。

 それが、ここ。

 あの時、また明日って言って先生の車を降りた。会いに行けなくなるなんて、自分でも思ってなかった。昨日は昔のことを私も先生も何も話さなかったけど、先生はあの時どう思ってたんだろう……。

 階段を降りきってぼんやりとロータリーに停まっている車を見つめるけれど、先生の車はまだ見当たらない。もしかして車変わってるかな? 最後に先生の車に乗ったのは、6年前。車を乗り替えていてもおかしくは無い。そう思いながらキョロキョロしながら歩く。

「北川、こっち」

 先生の声がして顔を向けると、近くの黒い車に先生が乗っていた。何気なく、昔していたように先生の車の後部座席のドアを開ける。

「なんでそっちなんだよ。前乗れよ」

 飛んできた先生の声に、一瞬思考が停止した。昔は前に乗るなって、言われたからずっと後ろに乗っていた。前に座っていいという事の意味を図りかねて手を止めてしまった私に先生が呆れたような口調で言う。

「別にもう生徒じゃないんだから普通に乗れよ。飯、なにか食いたものある?」

 生徒じゃないんだから。その言葉に、じゃあ先生と私は、どんな関係…? と湧いた疑問は口に出せなかった。それを口に出して会えなくなるのが怖かったから。

「なんでも、良いです」

 一番無難なようで一番微妙な返事だとは判っていたけれど、でも何を食べたいとかそんなことまで頭が回らなかった。私がシートベルトをはめるカチンと小さな音が車内に響くのを待って、車が走り出した。

「なんでもいいってなぁ…… 腹は? 減ってる?」

「そこそこ…です」

 そう答えはしたけれど空腹感は全くなかった。
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